スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 スポンサー広告 | page top↑
つながっているということ ~ 54期定演を終えて
6年目の柏葉定演はロビマネとして。
ロビーもマイクを通して音が聴けるのかと思ったのが大間違い。
忙しすぎて全く聴けませんでした。


まずお詫びをさせてください。
レセで体調を崩してしまい、ご迷惑とご心配をおかけしました。
レセ後は後輩に家まで(!)送ってもらい、そのままベッドでバタンキュー。
差し入れ配達もお願いしてしまいました。大感謝です。
4・5年生には、超ささやかながら全員に用意しましたよー。

そして。

==============


レセであんなに長々と話すロビマネは僕は見たことないです(笑)。

最初の方は生で聴いた人には内容がダブっちゃうけど、
ここであえてもう一回。そして+αを。



縁の下を覗いてみれば


お手伝いさん総数は、31人(団外20、団内11)でした。
ソプラノ30人、アルト26人、と比べてみて分かる通り、
まさに1パート分エネルギー。
むしろ、一つの合唱団が出来るくらい。

ロビマネは慣れない指示を出しまくり、
自らは勇気を振り絞って「働かない」。

お手伝いさんには、何のメリットもない。
それでも、誰一人として苦情を言わない。
演奏も聴けない。日当1000円の薄給。
クリスマス前。年末。夜まで。

なのに、熱心な人はマニュアルを隅々まで読んで、
質問を重ね、丁寧に作業し、すごく気を遣ってくれる。

団内もそう。
多少のおしゃべりはあるものの(笑)、
元両指揮者を初め、初めての人も2年目の人も、
時間の都合がギリギリで無理やりお願いしちゃった人も、
みんな協力してくれました。


5年間、僕は歌っていた。
「この演奏会を支えてくれたたくさんの人」を、
テレビの中の人のように離れて感じていました。

それを初めて間近に見た感動がありました。


文章で伝わるかなぁ。え?分からない?
じゃあみんな、ロビマネやろう(笑)



手を求めて、それがつながるとき


団内の人数は、実はギリギリでした。
たくさんの人に声をかけて、
実際やむを得ない事情で、断られることも多い。


「普通は断るであろう」頼みなので、
引き受けてくれる返事は一つ一つが感動モノ。



レセで言ったことを、もう一度書きます。
ずっと言いたかった。ロビマネを引き受けたときから。
彼らを動かしているのが、
かつてみんなで手を握った温かさであり、
何度とない「夜の歌」で肩を組んだ頼もしさ。

それが、乗らない上級生を動かしている。
それが、定演を支えている。

それを忘れないで欲しい。

ここまで復習ね(笑)。


僕の話(≒文章)は普段から道草食いまくりですが、
今回は特に伝わりにくかったかな、と思った。ごめんなさい。


僕が本当に言いたかったのは
「演奏会はたくさんの人に支えられてる」
ってことだけではないです。


じゃあ何か。



「期」は、積み木ではない


僕は毎年のレセで疑問に思い続けた「決まり文句」がある。
  • これから新しい六連期が始まる
  • 一つの節目を迎えた
  • これで終わりじゃない、六連期がある
  • このメンバーでいられることは今日で最後だ…

もちろん、これらは全部正しい。
けど、誰か違うことを言ってほしいと思ってた。
言わなくていいけど、せめて書いて欲しいことがあった。


文化系サークルには2タイプある。
1.大きなイベントに向かうサークル
2.活動そのものが目的だと明確にしているサークル

1が柏葉他多くの音楽系で、
2は茶道部とか華道部とか将棋部とかそういうの。

後者は、辞めたくなったらいつでも辞められる。
だけど柏葉はそうじゃない。年に大きなイベントが2つ。

つらくなっても、最後まで頑張らないと(と思ってしまう)。
投げ出すのにかかる決断が半端じゃない。つい、いてしまう。
やり遂げたときには、傷だらけになってしまうことさえある。
達成感という美酒にかかる、副作用や税金。
それらは得てして不平等なもの。


だから、定演が終わった瞬間、様変わりする。


とっくに勉強に戻らなくちゃいけない人が慌てて戻り、
未来の社会人は、これを機会に縁を切らざるを得なくなり、
ずっと我慢して団員であった人は、そっと場を離れていく。

・・・・・・・・。


それが定演のもう一つの現実。
それを受け入れるなら、
何か忘れてないだろうか、ということ。

==============

役割が代替わりしても、メンバーが入れ替わっても
別の合唱団になるわけじゃない。
六連期のメンバーは、定演期メンバーと半分以上同じなんです。
狭義の「場」を去った人も、広義の「場」にまだいる。

その意味で、定演が終わるずっと前から、
実は六連期は始まっている。


その「つながり」を一番実感するのが、
「握った手の温かさ」であり、
「組んだ肩の頼もしさ」だと思ってる。


曲も変わる。年も変わる。役割も変わる。
そんな中に、定演期に、秋に感じた温かさが、
六連期に残すものを、大切にしたい。


定演で離れる人がいる。離れざるを得ないから。
だけど、それは「さよなら」を意味しない。
そう思いませんか。



本音と建前の漸近線


技系は意識レベルが高い。
僕はダメダメながら技系も経験させてもらえたけど、
だからこそ問いたい。アマチュア合唱団って何だ、と。


「くだらない音楽なんてやりたくない」には、僕も正直同感。
だけど、どれほど音楽を煮詰めても、
プロの技術にどれほど肉薄しても、最後は及ばない。
及ばずながら得ているものも大きかろう。何より、音楽が楽しい。
それはそれで十分だ。

だけど、それと同時に、
「かけがえのないもの」を僕たちは得ている。


初めからそれを求めてダラダラやることも出来るけど、
柏葉は音楽の向上を目指すところが(学内では)特徴だ。

全員で向上を求めた上での副産物だからこそ、
それでなくてはならない、いいものが得られている。
僕はそれをシステムなんかで、塗りつぶしたくはない。


そこに、ロビーを動かせるほどの力があるから。

=============

うれしかったことは沢山あったけど、特に大きいのを2つ。

1つは、柏葉を途中でやめてしまった人と、ロビーで会えたこと。
晴れやかで明るい顔をしてました。一瞬の会話。
たとえそれが嘘でもいいさ、また会いたい。

2つは、翌日団員がメールをくれたこと。
「来年はお手伝いを頑張りまーす」
望外の喜びでした(笑)




ここでいっしょに星座の名前を覚えよう


やさしくあること。それは、簡単なようで、本当に難しい。

アツアツのミルクも、やがて冷めてしまう。
だけど人間が、冬でも寝てても体温が一定であることって、
しかも36度もあることって、
何か象徴的な意味があるような気がする。


やさしさだって、愛だって、ときに意志を必要とする。


ロビーの手伝いをやろうか。
柏葉のを聴きに行ってみようか。
同期と飲んでやろうか。

そんなんでもいいから、たまには肩を寄せてみたい。
熱が高すぎたら病気だってことも、もちろん承知。
でも、できれば美味しいものを食べて、身体を、心を、温かくしていたい。
いい思い出を作って、たとえ離れ離れの道を歩むとしても、
あすじゃなくても、あいたい仲間のできる場所であってほしい。


ああ、理想かな。
でも。

============

僕は柏葉6年目。
若い僕はめちゃくちゃ生意気でした(今もかなw)。


2年の春、最年少学年のくせに、
全体総会でめっちゃデカイこと言ってしまった。
覚えてる人もいるよね(汗)
おまえがお帰りなさいを繰り返す間、
ここに何度も帰ってこようと思える合唱団にしたい。
(「地球へのバラード」の歌詩を下敷きにしてます)

あはは、恥ずかしい思い出です。

でも、みんなのおかげで、
本当にロビマネとして帰って来れました。
まさかの、まさか。
お帰りなさいを言ってくれた、
たくさんの人に心から感謝してます。


6年目がこんなに幸せだなんてね。
ロビーが定演を支えたように、
定演に乗ったみんなが、ロビーを支えてくれていたんです。





だから、ありがとう。

「さよなら」なんていわないよ。
7年目、よろしくね。








============


最後に。

先月終わりから今月初めにかけて、
連続してちょっとした「事故」にあいました。
両手(特に左手)の震えが残って、いま薬で抑えています。

更新が長く途絶えたのは、修論で忙しいのではなく、
むしろ逆に、文章を書くのが困難になったからです。
左手の頻出文字、A・S・Eあたりの打ちミスがひどい(笑)

現実問題、修論が一大事なので、早く治さないとです。
今も頑張ってます、が、つらい。
この記事を書くのも数日がかり、
…というか定演前から書いてます。
(修論や他のメールと並行していますが)

でも、この事故云々の件に関しては、突っ込まないで下さい。
あまり触れたくありません。
なのになんで書いたのかというと、
年始のご挨拶が予定通りに行きそうにないからです。

その点、どうかご容赦下さい。





皆様、よいお年を!
そこにいるには老いすぎた身から、心をこめて。



300件目の記事でした。



スポンサーサイト
【2007/12/27 20:53】 柏葉 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
もういいかい もういいよ
柏葉うまいよ!!( ̄〇 ̄;)
と素直に感嘆を、というか感嘆を通り越して大興奮でした。六連定演です。一年のときにも聴きに行ってないので正真正銘初めて。あの曲を舞台近くで聴いた僕は、迫力にひたすら圧倒されたわけです。ある意味ベストポジション(笑。

そして社会人の先輩がたくさん会場にいたのにちょっとしんみり。3年目、5年目とかでこうやって帰ってこられる人はスゴいと思いつつ、またちょっと羨ましかったです。

そして
すべての
まぼろしが
きえさり
たんぽぽの
たねが
ゆっくりと
そらにただよい
いけに
はもんのひろがる
あさ
このちじょうで

ぼくは
しんだ

(もういいかい
もういいよ)

( ― 谷川俊太郎「ぼく」より)



===============

柏葉の話です。グロ注意w。


前回前々回と夫婦にスポットを当てましたが、僕は去年の5年生の自分を、柏葉の主フだと思ってました。2年生や3年生の戦士たちが稼いでくれたお金で養ってもらいつつ、ちょいちょいとお手伝いしながら生活する自分を。


「働きもしない上級生」と実際にも言われたけど、ただ上級生は望んだって働けないのです。仮に望んだって「変わり者だ」と見られるだけで、評価や感じられるやりがいは2・3年生の役職とは全然違う。だから、「働けないなりに何とか働けないか」と思って、気の利かない自分を何とか変えようと思ったつもりでした(そして気の利く人のすごさを思い知った)。


だから柏葉5年生は僕のちょっとした「主フの擬似体験」。そして、そこであまりにクタビれたので、こりゃ僕には主フは向いてないんだ、と思ったりもしました(半分冗談だけど)。


===============


だけど、考えてるうちに、「自分は世話になりつつ環境を整えて安心して働く人が働けるように考える『主フ』だ、と自分で思っていること」がものすごく傲慢だってことに気づいた。


主フなしには戦士は戦士でいられないはず。果たして本当に求められていたのか、自分が求められる「主フ」足りえてたのか、と。そう考えたときに、役職を家庭になぞらえるなら、柏葉という母体を働いて支える2・3年生こそがむしろ主フで(彼らは組織・柏葉と互いに必要)、僕は「姑」ではないか、と思えてきました。


僕がやったことはほとんど誰にでも出来ることでした。たぶん僕は、近年の上級生の中でも比較的働いた方だと思う。でも、仮に事務作業で見ても実は僕の作業量は全部足したって役職の一つにも遠く及ばないものだったし、何より歌で貢献できない裏返しでしかないことは、よくよく承知していました。
  • 別にいたからどう、いなかったからどう、ということもない、姑。
  • ただ昔からいたからそこにいる、という姑。
  • 経験を積んでるつもりになっていろいろと口を挟みつつ、そのくせ大して働けない姑。
  • 嫁(婿)から、「感謝しなくちゃ」と思われている、姑。
(一応断っておきますが、ここでの姑は、一般的な「嫁から見た悪いイメージの姑」です。誤解なきよう。)


働いたつもり。でも、働けど・働けどなお・わが柏葉、じゃないけど、人を幸せにするってものすごく難しい。例えば募金活動で自分が投じたコインはきっとどこかで誰かの役に立っているんだろうけれど、受け取る側からすれば、それは寄付という抽象的なものでしかない。受け取って、たしかにそれがワクチンになったりノートになったりするけれど、果たして人はそれで幸せを感じられるのでしょうか。作業が減ろうが、環境が整おうが、それと「幸せ」にはズレがある。話がぶっ飛んじゃうけど、アメリカのイラク支援にも、(若干違うと思うけど)その辺りのことがチラついている。自分は何をしてるのか。


すすんで手伝った。あちこちに首を突っ込んだから、僕のおかげで「多少はラクになった」人は少なくないはず。でも、それでデカイ顔されたらたまったもんじゃないよね。定演のレセと夜通しでは、その辺りのことがバラバラと崩れていくのを思い知りました。


=============


僕はこのブログの他に非公開の日記をつけていますが、六連定演を聴きに行く前日には去年の六連定演の直前の日記を読み返していました。テナーのヘッポコ単独最上級生。多くの人はそんなのにヘコタれやしないだろうに、僕は勝手に自分でコテンパンになっています。誰かに言われたことがたくさん「」付きで書いてある。たぶん相当神経を尖らせていたんだと思う。びくびくした日々。


たくさんの人にありがとうって言われてたのに、つらい記憶ばかりが残っちゃう。それは本当に申し訳ないけれど、一方でしょうがない部分もあって、当たり前のことを言われて当たり前に解釈できなくなっていました。六連は定演のスタートでもありました。定演に乗るか乗らないかさえ、4月からずっと引きずっていて、テナーの発声中いきなり泣き出したっけ。かっこ・Jちゃんごめん。


定演の夜通し会場に着いて、一人ひとりが話すときに自分の言ったことを、僕はハッキリ覚えています。
「仕事は鎮痛剤にしかならない。自分と同じ過ごし方は絶対にしてほしくない」
その気持ちは今もまったく変わりません。ただ、じゃあ何をすればいいのかというと、それもまだ分かりません。


=============


ただ誤解がないように書いておくと、今でも5年目の柏葉に参加できて本当によかったと思っていることも、昔と今で全く変わっていません。多くの人に感謝していますし、またつらい思い出も今のところ何とか飲み込めています。


そして6年目は乗れません。自分のために、です。それはある意味残念だし、ものすごく皮肉だと思う。一番愛着のある学年が卒団する年、一番大好きな学年が責任学年の年。


だけど、これ以上いるよりも自分のためにやりたいことがあるし、また、これ以上いるよりも柏葉のためにやりたいことがあって、それは外からしかできないことです。ボロボロになったほとんど悔いのない5年生生活の、たった一つ、くやしくてたまらなかった失敗を、今年は修正したい。六連定演で初めて外から柏葉を見て、新しい関わり方への整理がつきました。
卒業は、「終わり」であると同時に「始まり」でもある。「終わった」のに「始まり」が見えていないから、5年目がまだ現在進行形。さーて、この現状を打破しなきゃね。
( ― 2007年1月9日の記事より)


トンネルを抜けて、突然の明るさに眩暈がしたまま長々フラフラしてたけど、この記事をもって5年目はおしまい。視界が戻ったところで、いよいよ「6年目」に入ります。
ここでただいまを言い続けよう
おまえがお帰りなさいをくり返す間
ここへ何度でも帰って来よう
( ― 谷川俊太郎「地球へのピクニック」より)



5年間お世話になりました。本当にありがとう。

そして六連定演。いい演奏を、いい演奏会を、ありがとう。


そして、もうちょっとだけ、関わらせてやってください。
【2007/05/25 03:02】 柏葉 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
近況報告
柏葉定演が終わってからの僕はすっかりバイトまみれの生活でして、12月25日から31日まで7連勤、元旦休んで1月2日から9日まで8連勤、という彩り豊かな生活を目下エンジョイしています。おかげ様で田舎にも帰れず、じじばばの顔を見るのも先送り。てか、バイト先の上司から「2日に入ってくれないか」と改まって言われて了承したのに、その上司は2日も3日もしっかり休みを取っているということが分かり、無性に腹立たしい気分であります。これが社会か。



そろそろ柏葉は新年が始まります。その前に前年の仕事のことをまとめたり、このブログにもそんなこんなを書いておきたかったのですが。今まで4回の定演後はとっくに新年に切り替えられていたはずなのに、今年に限っては胸の中に堆積したものがまだ拭いきれていない感じがします。

何も分からず、分かるつもりもなく参加した1年目。

急激に内側に引き込まれた2年目。痛みと、未来への期待の年。

無我夢中の3年目。それだけに、思い返して一番悔いが残る年。

満喫した4年目。一番ワガママで、そして練習日ごとに幸せを噛みしめた年。

そして、5年目。これは年が明けた今もまだ現在進行形な気がする。まだ残響の中にいる。ゲネラル・パウゼもここまで長いとしんどいものです。


==========


重松清の「卒業」を読みました。あとがきには、書き手として目論んだこととして、「『始まり』を感じさせる『終わり』」と書かれてありました。

卒業は、「終わり」であると同時に「始まり」でもある。「終わった」のに「始まり」が見えていないから、5年目がまだ現在進行形。さーて、この現状を打破しなきゃね。
【2007/01/09 03:07】 柏葉 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
残響
定演が終わりました。演奏会前に書きたいことは沢山あったのですが、時間と余裕のなさでズルズル放置し、現在年賀状とバイトに追われています。そしてその一方で、数日経ったはずの今でも、まだぼーっとしてしまいます。

お礼を言いたい人がたくさん。更新、その他、もうしばらくお待ちください。
【2006/12/27 01:46】 柏葉 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
幸せになるための一番の方法はね、人を幸せにすることなんだよ(E.ケストナー)
柏葉会で活動するようになって、自分が一番変わったのは演奏会観ではないかと思います。高校時代「観客は1人でも十分」と豪語し、観客のことなど何も考えなかった(むしろ考えることを愚かだと思っていた)自分は、柏葉のパトリや指揮者が「観客に声を」と当たり前のように言うのに、ものすごく衝撃を受けました。

以来、考え方はまさに180度近く変わった気がします。そして、定演委員会にもずいぶん関わらせてもらいました。

2年次にはプログラム委員長
3年次には定演副委員長
4年次にはポスター製作(広報?)・男声室長
5年次には備品係補佐・ソリスト応対

同期の友人から、「雑用度が年々上がってるね」とお褒めの言葉を頂きました。大変恐縮です。


拍手が欲しい。


柏葉の定演まで一週間を切り、切実にそう思うことが多くなりました。演奏が終わって、身じろぎもしない観客。この余韻、この緊張感こそ終演の醍醐味ですが、もしも、それが永久に続いたらどうなるのでしょうか。「冷たい」目で見られ続ける演奏者。ものすごく不安になるだろうし、演奏が失敗だったと思って落ち込むかもしれません。演奏者はわがままです。来てくれるだけで十分だ、のはずだったのに、拍手がないと落ち着けない。心からの拍手なんて、もしかしたら半分もないのかもしれない、それでも拍手が欲しい。


演奏後の余韻と小さな沈黙は、真剣に演奏した後の最大の望みのはず。でも、その沈黙には限度があるのです。そこを救ってくれるのが、他ならぬお客さん。いい演奏を聞かせるのも大切だけど、いい拍手をもらっていることを忘れてはいけないと思います。かけがえのないものをもらうのは、(特にアマチュアの場合)むしろ演奏者なのです。


演奏会場はコミュニケーションの場。人間と人間が向き合う場所です。演奏会の拍手なんて、定式化された一種の社交辞令かもしれないけれど、観客と演奏者をつなぐ、大事な大事な命綱でもある。拍手に値するものを、自分なりにちょっとずつ積み上げていかないとね。


みなさん、お待ちしています。


<東京大学柏葉会合唱団 第53回定期演奏会>
日時:2006年12月23日(土・祝)・開演16時00分
会場:昭和女子大学人見記念講堂(三軒茶屋駅より徒歩7分)
料金:全席自由1000円(予約700円・65歳以上無料)
曲目:
「柳河風俗詩」 作詩 北原白秋 作曲 多田武彦
「Agnus Dei」 作曲 K. Penderecki
「Agnus Dei」 作曲 S. Barber
「クレーの絵本 第1集」 作詩 谷川俊太郎 作曲 三善晃
「季節へのまなざし」 作詩 伊藤海彦 作曲 荻久保和明
【2006/12/19 01:19】 柏葉 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
| ホーム | 次ページ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。