シルヴィア・プラス。みなさんはこの名前をご存知ですか?
シルヴィア・プラス(1932 - 1963)は、20世紀のアメリカの詩人。天才と言われ、ケンブリッジ大学で同じく偉大なアメリカの詩人・テッド・ヒューズと電撃結婚。そして詩集を発表しながら30歳の若さで自殺。死後29年たってから認められ、ピューリッツァー賞を受賞した、そんな人。 2003年に映画になりました。公式ホームページはこちら。 ![]() 才能と美貌を欲しいままにし、イギリスに留学。そこで出会ったテッド・ヒューズ。天才は天才を求め、一瞬にして恋の炎は燃え上がり、親の反対を押し切ってわずか4ヶ月にして学生結婚。 結婚した2人はお互いを刺激しあいながら、それぞれ数々の出版社やコンテストに作品を送る。やがて夫・テッドの詩がニューヨークで文学賞を受賞。一方のシルヴィアは、新聞に一言、批評が載るだけ。どれほどつらいか。 教師の仕事に追われ、そして家事も行い、執筆の時間が取れない苦しみ。それに輪をかけるかのように、夫への疑いのまなざしが芽生えてくる。テッドを激しく攻撃するシルヴィア、そして別の女性のもとに走るテッド。ついに別居となります。 やがてテッドが戻ってきます。テッドの腕の中に抱かれるシルヴィア。浮気相手と別れて欲しい、そう静かに言います。 テッドの答えは、ノー。 シルヴィア「・・なぜ?」 テッド「もう身ごもってる。」 うんと静かで、残酷な結末。彼女は2人の子供を残したまま、オーブンに頭を突っ込んで自殺。壮絶な死に方です。 働く女性の苦しみ天才夫婦。絵に描いたようなカップル。しかし、ここで描かれているシルヴィアの苦しみたるや、成功する夫への嫉妬、夫の女性問題への疑惑とそれに伴う自分への不安、経済問題の心配、家事や仕事での創作時間の不足、と枚挙にいとまがありません。 そして、皮肉なことに、夫と別離したとき「今が一番幸せ」とシルヴィアは言います。「こんなに書いたのは初めて」とも。そして、このときの詩集で、シルヴィアは死後認められることになるのです。でも、シルヴィアの「生」はその幸せには甘んじなかった。 もう一度繰り返します。舞台は遠くない過去、20世紀です。いまの僕たちと切り離せない世界です。その世界で、シルヴィアには何一つ「事件」なんぞなかった。「テッドが別の女性に走ったのが問題だ」「家事を手伝わなかったのが問題だ」あげつらうのはカンタンですが、でも、それらさえ運命の歯車に従った結果のような描かれ方がされています。 手探りの共働きの悲劇。問題が多すぎること、問題が何かさえ分からないこと、それが苦しい、そして当り散らすしかない、だから破滅する。 ひどいわ! あなたの詩をタイプし、 何も書かず教師をして時間を無駄に! あなたの栄光のために表彰されるべきね! 英米詩に「貢献」したんだから! シルヴィアの叫びには、悲痛なものがあります。 そして編集者との会話には、こんな痛々しい皮肉もあります。 編集者「赤ん坊がいて執筆は?」 シルヴィア「ムリよ。…テッドは書いてるわ。 大事なことでしょ?本物の詩人は彼だもの」 21世紀の挑戦この映画の舞台になった時代より、現代のほうがよほど共働きに寛容になってきています。それでも、性役割が意識されたり(例えば家事が女性に極端に片寄る)、互いの成功に神経を尖らせたりする面がなくなったわけではないでしょう。 共働きが無理なのではない。 天才カップルが無理なのでもない。 この夫婦の破局はこの夫婦だけのうんと個人的な問題です。テッドにもっと気遣いがあればこうはならなかったかもしれない、結婚が遅かったらこうはならなかったかもしれない、そしてシルヴィアが「ま、いいか!」と笑っていられるほど「鈍かっ」たら、まずこうはならないでしょう。 個別的な問題だけど、構造的なことを考えさせられる。それはあらゆる芸術の基本要素です。でも、伝記映画という制約が大きい中で、その当たり前のことを当たり前以上に見せてくれる。よく出来た映画だな、と思いました。 誕生日の手紙最後に史実をちょっと振り返ります。シルヴィアがもっとも充実していた頃の詩集(「エアリアル」など)を出版に至らしめたのは、他ならぬテッドでした。 シルヴィアの名が知れるに従って、フェミニストから「殺人犯」などと罵声を浴び続け、そして一切の弁明をせずに創作にこもったと言われています。 そして次々と名作を発表。イギリスの桂冠詩人となります。 また、シルヴィアの死後35年、詩集「誕生日の手紙」を出しました。シルヴィアとの出会いからその後を綴った、彼女のための詩集。そして、それが最後の詩集となって、偉大な桂冠詩人はこの世を去ります。1998年。つい最近です。 ========== なーんて言うと、テッドがさも「実はいいヤツ」なように聞こえますが、実際シルヴィアが自殺してすぐに、テッドが走った先の愛人も自殺してたりとかして、どんな男だったんだよ、と突っ込みたくなるのも事実。 シルヴィアの日記を出版したのはテッドですが、自殺直前の日記はなぜか「なくなって」いて、書かれてないのか、テッドが破棄したのかは永遠のナゾ。訳が分からないミステリアスな男です。 でも、本当につい最近まで生きていた人。もちろん、「誕生日の手紙」は出版されています。てか、僕の本棚にもあります。 ![]() ノロケでも後悔でも弁明でも未練でもない、宙をさまようような詩の数々。僕には全然分かりませんでしたが、少なくとも「映画は」オススメしますよ(笑。 スポンサーサイト
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ドイツ映画はよくやってるなぁ、という前回のエントリに書きましたが(えぇ、そういう趣旨のエントリですよ)、最近また新しく面白そうな映画が公開されたようですね。
映画「善き人のためのソナタ」(2006年・ドイツ) 何でも2006年に作られた映画で、アカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされたようです。舞台は1984年、東西冷戦下の東ベルリン。国家保安省のお役人が、とある芸術家カップルの「反体制」の証拠をつかむために盗聴・監視をする中で、次第に彼らに惹かれていく、というもの。 監督は若干33歳のドナースマルク。「90年の東西統一から16年が過ぎた今も人々が触れたがらない過去を、端正な物語にしてみせた」といいます。また、主演のミューエは実際に、妻に密告されていた過去を持つとか。この監督は、同じく東西ドイツ統一の時代に生きた親子を描いた「グッバイ・レーニン」の描き方を「行きすぎ」だと批判しているけれど、じゃあ彼は果たしてどういう風に「近くて暗い歴史」を描いたのか、興味深いところです。是非観たい映画のひとつ。 と、言いたいところですが、公式サイトを見てちょっとゲンナリ。 どうでもいいっちゃいいんですけど、こういう社会派ドラマに異性愛を持ち込むのは僕としては正直苦手。「パール・ハーバー」(2001年・アメリカ)もそうですが、何かウケを狙っているような、寄り道しているような、安っぽくなる印象が拭えないのです。 ・・・というのは観てから言うべきか。マジメな映画はガッチリ硬派に作ってほしい、のですが、これがどれほどマジメな映画かは分かりませんからね。観た人は感想聞かせてください。 (参考:読売新聞の評) 載せざるを得ないもの原稿を扱う人が、お偉いさんに原稿を頼んだとします。どこどこに掲載しますから、よろしくお願いします、って。で、出てきた原稿が「なんとビックリ、アイタタタタ、・・・どうしよう??」みたいな。こんなこと、サークルなどでも編集系あたりをやった人は経験あるのではないでしょうか。 映画の宣伝に、有名人が「感動的だ」「泣きました」みたいなコメント出しますよね。この映画の公式サイトには、なんとドイツの首相、アンゲラ・メルケルさんが「コメント」しています。曰く、 「チケットを買ったのに気持ちの整理がつかず、直前でキャンセルしてしまいました。」 こんなコメントでいいのか???( ̄〇 ̄;) 「印象的な宣伝」で、ささやかにイメージアップです。 |