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ユンディ・リのピアノリサイタル
前回の記事はどこへやら。かなり長いのでご了承ください。


10月7日、横浜みなとみらいホールでユンディ・リを聴いてきました。C席5000円。5000円というのは僕にとって一つの演奏会に出せる最大の金額です。その期待たるや、まさに夢見るアンディさん以上。ユンディ・リといえば、ショパンコンクールの15年ぶりの覇者(註1)。ミュンヘンで聴けるかと思いきや公演キャンセルで返り討ち、今度ばかりは何としてでも聴くつもりでした。

演奏会客席レビュー



演奏曲目はこんな感じです。
  • モーツァルト、ピアノ・ソナタハ長調K.
  • シューマン、謝肉祭
  • リスト、スペイン狂詩曲
  • ショパン、アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ
ですが、もう時間が経ったことですし、今更ディナーミクがどうだのあのフレーズのペダルがどうだのといったことには触れません。それよりも別に書くことがあるのです。

僕の座席はピアニストの顔を正面から拝める右手奥の席でした。もちろん音響的には悪いのですが、ピアニストとの距離が近いというのはいいものです。他のお客さんの態度が気にならない分、鑑賞に集中しやすい「穴場」です

ところが。
リサイタルが始まってしばらくすると、二人のコソコソ話が聴こえてきました。僕のすぐ真後ろの席に、学校に入って間もないくらいの小さな姉妹(註2)が座っていたのです。
「ねぇねぇ…」
「あ…」
「あそこ、ほら…」
「そうだ!」
「よーし…」
こんなのが演奏中に断片的に聴こえて来ます。あのね、おねぇちゃんたち、このコンサートはね、お兄さんは半年も楽しみにしてたんだよ?うんと遠くから横浜まで来たんだよ?5000円も奮発したんだよ?静かにしろよコラ。。。

そんな願いも空しく、なにやらジッパーを開ける音。どうやらミニバックをお持ちのご様子です。リサイタルは続き、シューマンの幻想的な世界が広がり、いかにもプロ中のプロという極上のトリルが響く会場、それをぶち壊したのはやはりその姉妹でした。
ピコ・ピコ・ピコーン!
…う、うそでしょ?
ゲ、ゲームですか!?ユンディ・リのリサイタル中にゲームですか?しかも音付きですか??マジで前代未聞です。てか親は何をしてるんでしょうか。寝てるのでしょうか。どうせなら子供が寝てて親が起きててください。


ゲーム終了、そして前代未聞の設備のイス


「あ…」(カラン・コロ・カラーン!)
「落ちちゃったよ…」
「取れる?」
「うーん、取れない…」

ふぅ、良かった良かった。ゲームが始まってから割とさっさと終わってくれて助かりました。こんなにうれしいゲームオーバーは初めてです。しかし、その程度で油断した僕がバカでした。敵の戦闘力はその遥か上。なんと退屈しのぎが、僕のイスを蹴りだしたのです。
(ガッ!ガッ!ガッ!)
本気であり得ません。ユンディ・リのピアノリサイタルは、座席にリズムバイブが付いていました。怒涛のシンコペ、変拍子、うぉぉぉ、誰か何とかしてくれ~。そしてようやく、シューマンの熱烈なクライマックスをもってインタミへ。


万来の拍手でユンディ・リは退場。さて、しかしここからが本当の戦いです。


常識はずれの元凶


インタミで会場が明るくなるなり、姉妹の隣の隣に座っていたおばさんが叫びだしました。
隣の隣「ちょっと、あんたたち、ここを何だと思ってるの!?ゲームやるんだったら外でやりなさいよ!!」
姉妹「・・・・。」
隣の隣「(姉妹の隣の若おばさまに)あなた親でしょ?どうして注意しないんです!?」
若おばさま「いえ、私一人で来たんです。この子達、私知らないんですよ」

え?知らないの?こんな子達が二人で来るわけないじゃんか。

怒り心頭の隣の隣おばさんは、外に出て係員を呼んできて事情説明。若おばさまは気まずくなったのかどこかに姿を消しました。てか知らない子でも注意してほしいんですけど。

後で分かったのですが、この姉妹を連れてきたのは彼女らのおばあちゃん。で、おばあちゃん曰く、自分だけ1階席に座り、姉妹をC席に置いておいた、と。本気で信じられません。保護者でしょう?子供を保護できないなら、せめて僕のイスを保護してください。


大団円?


結局、事態はおばあちゃんが姉妹と一緒に座り、1階席には隣の隣おばさんが座ることで一件落着。まぁ寛大な措置でしょう。ちなみにおばあちゃんが来てから、インタミ後の部では姉妹はまったく静かでした。演奏終わって後ろを見たら二人ともすやすや眠っていました。

この寝顔見てると怒る気力失せるわ…。

ところで、演奏会には暗黙のルールが少なからずあります。不慣れな人は慣れた人と行って教えてもらう機会があってもいいでしょう。日本の常識がヨーロッパだと通じなかったりもしますので、気をつけたいものですね。



註1:ショパンコンクールは、たとえ「最優秀」でも絶対的基準を満たしてなければ1位を与えられないコンクールなのです。さすが世界最高峰。
註2:未就学児は演奏会に入場できません。これで未就学児だったら大問題でしょうが、果たして。
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【2005/10/30 23:55】 日常 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
長文ラビリンス
かつてネット上のニュースで「ディスプレイで読むのが苦痛にならない文章の長さ」の調査結果がありました。それによると、平均400字くらいで読むのが苦痛と感じ出すようです。そのニュースを読んで以来、僕も文章のマイクロダイエットを試みてるのですが、マイクロどころかデシにもなりません。

400字というと、天声人語(朝日新聞のコラム)が750字程度ですから、あの新聞のアゴヒゲ程度の記事をさらに半分に凝縮することが求められているということになります。天声人語は徹底的に文章を「蒸留」しているため、少なくとも僕は読むのにかなり頭を使います。ネット上の文章であれを読むとなったらさらに苦痛でしょうから、ネットの世界ではそこそこ内容のある文章を、分かりやすく、しかし半分の長さに縮めるという、「締まったグラマーを目指したダイエット」みたいなことをやらなければいけないのです。

と書いた、これだけでもう約400字。さすがに400は少ないような気もします。ただ、書く内容について、読み手は書き手ほど興味を持っていないことを前提に書く必要がある、その点は肝に銘じておくべきでしょう。これは音楽の演奏にも言えることです。
【2005/10/28 00:05】 文章 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
シサスクの「銀河巡礼」
今日はちょっとマニアックな北欧作品を紹介します。

シサスクはエストニアの作曲家。合唱大国として知られるエストニアはバルト三国の一つ。小国ですが、作曲家としてはシサスク、トルミス、ペルト、ヴァヒなどがここの出身。割とマイナーとはいえ、この名前の並びはマニアにはたまらないこと間違いありません(笑)。

さて、その中でもシサスクは1960年生まれ、若い作曲家です。子供のころから天文学に興味があったとかで、星に関する名前のついた曲を多く書いています。ピアノ曲集「銀河巡礼」はそのうちの一つ。1曲目「水瓶座(夢)」、2曲目「子狐座(不安)」…といった具合に続いていきます。何でもシサスクは名前のついている88星座全てに曲をつけたいそうです(僕のCDには29曲まで入っています)。

現代的ですが、緊張感のアピールに終始する退屈な類のものではなく、音が非常に豊富で分かりやすい曲集です。不協和音もそれほどなく、明確に次々と鳴らされる音の流れから「印象」を組み立てていくような、いわば「具体的な抽象性」があります。1曲あたりも1~2分と短く、爽やかに楽しめる現代曲。個人的にはもう3センチ弱発狂してくれた方が胸キュンなのですが、オススメできることに間違いありません。見かけたら是非声をかけてあげてください。
【2005/10/27 22:58】 音楽 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
言論の自由と議論
太平洋戦争の最中。子供は天皇を神だと教えられ、天皇や国家を侮辱するような発言はご法度。手紙が検閲されたり、文学はおろか絵画や音楽にも規制がかかり、今日では当たり前とされている「言論の自由」はまるで認められていませんでした。

ところが、じゃあそれが社会を悪い方向に導いたのかというと一概にそうはいえない面もあります。沖縄での悲壮な戦いで知られるひめゆり部隊、天皇万歳と言いながら自爆攻撃を仕掛ける神風特攻隊が、言論の自由が認められる世の中で果たして生まれ得たでしょうか。言論が不自由だったからこそ、日本はこれだけ「持ちこたえる」ことができたのです。(註1)

このように、あるコミュニティで、「言論の不自由」は恐ろしいほど強い力を生み出します。元来、言論の自由とは、反社会的、反組織的な要素を含んでいるのです。今日でも、言論を不自由にすることで組織が円滑に動いていくのも珍しいことではありません。

しかし、それではダメなのです。少なくとも僕は満足しません。


自由は功利で測れない


上のような背景にも関わらず「言論の自由」が、今日では非常に大切だと考えられています。確かに組織運営には非効率かもしれない、でも、それよりも「自由」の方がよほど価値があるのです。少なくとも現代日本においてはそう考えられています。

ただし、これが一コミュニティの議論の場だと時としてこれが見えなくなってしまいます。こういう意見を耳にすることがあるのではないでしょうか。
「そういう意見は非建設的だから言わないほうがいい」
「そういう立場の人はそんな意見を言ってはいけないと思う」
残念ながら僕自身も身に覚えがあります。もちろんこの類の意見は、ある意見に対する反論としては成り立つでしょうし、そういう意見を言うことも、個人レベルではまた自由でしょう。ただ、これが組織として暗黙のコンセンサスになってしまうと、議論は死んでしまいます。そして、そうやって議論を殺したほうが、効率的であることが多々あります。理論的に正しく見えることも多々あります。だから人はますます声をあげにくくなってしまいます。

人数が多くなるとさらに、周囲の白い目が「暗黙のコンセンサス」を助長します。少なくとも意見を言う側へのプレッシャーが強い以上、言論が不自由になる環境が簡単に整ってしまいます。抑圧は正当性と結びついてしまいがちです。だからこそ逆に正当性を感じたときに、それが抑圧ではないかを考えることが重要なのです(註2)。


選曲委員会・選曲総会


僕の所属する合唱団では、選曲を学生の手で行うシステムを取っています。そして残念ながら、それは時に宗教戦争のような様相を呈することもあります。ですがこういう機会だからこそ、自由な議論になることを切に願います。自由はそれを知って初めて価値が生まれます。平和になり天皇が人間になったときあらゆる人々が教養を手にするように、自由な議論を通じて「音楽を知る」実に大切な機会なのです。


註1:戦争賛美のニュアンスは全くありません。
註2:もちろん、自由と責任は表裏の関係にあります。自由だから何を言ってもよい、というのは当然大間違いでしょう。
【2005/10/24 00:50】 文章 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
暗い水曜日
映画でラブシーンがどこにあるかは結構重要です。最後にラブシーンがあるパターンはまず間違いなくコメディ系。セックス目的の筋立てだったり、セックスの後を物語の範囲外にしたり、そういう設定自体が「コメディ」的です。初めにラブシーンがあるパターンは…、うーん、あまり見ない気がします。エロ目的の映画なら話は別ですが、ストーリー展開の土台部分に「浮きやすい」シーンを入れても後が困る、ということでしょうか。圧倒的に多いのが物語のど真ん中(またはそれよりやや手前)に置くもの。二人の関係の最高点が、すなわち未来暗転への第一歩になるのです。

典型例といえば「タイタニック」でしょうか。ここでは二人の間に運命という「外力」が作用するんですね。この最高点が暗転への第一歩というのが、性行為の「一過性」を象徴している二重構造になっているような気がします。


すべてが夢だったら?


I am afeard.
Being in night, all this is but a dream,
Too flattering-sweet to be substantial.

シェイクスピア「ロミオとジュリエット」のロミオのセリフです。このストーリーの組み立ては、現代映画と全く同じ。単に「報われない恋」が永遠のテーマなだけではなく、作者の考えも永遠のテーマなようです。


研究室の勉強会


なんでこんな話をしているのかというと、研究室の勉強会が毎週水曜日午後(柏葉の練習日)に当てられたのです。院試・ゼミが終わってからは、毎日が万札で足元を照らすほど幸せでした。そこに突如現れた「外力」。本当にショックでした。あー、定演乗れるのかなぁ。。

そして宣伝へ…


柏葉会合唱団の定期演奏会、興味があれば是非いらしてください。
【2005/10/23 00:40】 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
誕生日
22歳になりました。22回目の誕生日だと思っていたら、生まれた日も誕生日だったということに気づき、23回目なのでちょっと損した気分です。

その誕生日は、(嫌で嫌で終わるのを)待ち焦がれていた卒論中間報告の日でした。資料作成も飽きてきた誕生日の午前2時、早速おめでとうメール第1号が!!おお、そういえば誕生日じゃないか。

誰からかって?

…広告メールでした(ガッカリ)。


サークルではハッピバースデーでお祝いしてもらいました。遅刻したのに本当恐縮です。自分の誕生日を広告メールで気づくような人を祝ってくれる、そんな皆さんの親切さに胸がいっぱいで眠くて仕方ありません。


そんな誕生日=卒論中間報告日の夜でした。
【2005/10/20 01:50】 日常 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
復活報告
一度は電源が入らなくなったパソコンでしたが、開いて電源装置を取り替えてみたら一応動くようになりました。幸いマザーボード、ハードディスクは無事だったよう。マジ安心、そして即効バックアップ取りました。

まだ不安定なんですけどねぇ。知識ないのに自作なんかすると出費ばかりがかさむ…。
【2005/10/15 12:17】 雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
「マリア様がみてる」
通称「マリミテ」です。読書カテゴリを創設して、記念すべき第1稿にこれを書く自分って何だ。

いや、サークルで複数人に薦められたんですよ。
で、本屋に行ったら物凄い数並んでるんですよ。
今までこんなメジャーな世界を知らずに生きてきたのか、と。
これは買うしかない、と。
それ1冊を取ってカウンターに持っていく自分って何だ。

プロローグ


はっきり言って、内容は期待以上でした。いやぁ、ホント終わってますよ、コレ。

舞台は「私立リリアン女学園」だそうですよ。
18年間通い続ければ純粋培養お嬢様が箱入りで出荷される、らしいですよ。
福沢祐巳もそんな平凡なお嬢様の一人だった、そうですよ。

…そんな平凡ってどんな平凡だよ。

第1章


「お待ちなさい」
「あの…。私にご用でしょうか。」
「呼び止めたのは私で、その相手はあなた。間違いなくってよ」
出ました、「~なくってよ」。お嬢様といったらこれしかありません。ステレオタイプを出し惜しまない、これ大原則ですね。そしてお嬢様たるもの、やはり服装です。
リリアンの制服は、ラインが…アイボリーのセーラーカラー…タイに…ワンピース…ローウエストのプリーツスカート…バレーシューズ風…(云々)
そして結びはこう。
制服マニアはもちろん一般人の中にも根強い人気がある。
…いったいどういう人たちに「一般人」を設定してるんですか。作者の妄想力に尊敬の念を抱かざるを得ません。


もう誰にも止められない


いや、この世界の前提によると、
  • 山百合会という幹部があるらしい
  • 幹部には赤薔薇さまだの白薔薇さまだの、素敵な上級生がいらっしゃるらしい
  • 上級生さまは下級生さんにロザリオを授与することで、姉妹の契約を結ぶことになるらしい
もう勘弁してくださいよ。何でもこのシステムは生徒の自主性を尊重する学校側の姿勢なのだそうな。

はぁ、そうですか。それはよかったですね。


あとがきまで手を抜かない


最後の最後まで、この世界はこの世界のまま終わります。
女子校に通っている(いた)人が「そうそう、こんな感じ」と共感したり…共学の人は「へー」って思ってくれればいいな、と思います。
共学どころか驚愕、驚愕どころか唖然です。

全体を通して、この世界が出来上がっているんですよね。前提がひっくり返ってて、それが当たり前、みたいな。で、そういう世界が現実の中にどれほどはびこっているのか、というと、こちら
う、うそだろ??
比較してみますか。これとかこれとか。

ば、倍ですか…。へへー、恐れ入りました…。



いやぁ、マジ面白かったです。
二度と読みません。
【2005/10/13 15:54】 読書 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
「人間・環境一般」への道のり
昨日の記事を掲載したとき、そういえば昔似たようなことを書いたなぁ、と思いました。そして探してみたら案の定こんなのがありました。

この手の話が多いですね。別にエロネタのつもりは更々ないのですが、まぁ続いてるだけにそう取る人もいるだろうということでちょっと弁解しておきます。

三つの「セイ」


文章を書くときはまず話題を選びます。このとき僕は次の3つのセイを意識します。
  • 政治の「政」
  • 宗教の「聖」
  • ジェンダーの「性」
この3つは、議論で何かとタブー視される傾向があります。理由としては、
  • あらゆる立場が存在する
  • 互いの立場が中々相容れない
  • 時には排斥的な「信仰」を持つ場合も少なくない
といったところがあるでしょうか。かなり乱暴なまとめですが、これらは趣味とかそういうレベルではなく人間に根ざす部分が多々あるというのが最大のポイントです。つまり、一番大事なのに腫れ物っぽいから中々触れられない話題なのです。

ただし、「政」と「聖」については、ネタとして面白くするのが非常に難しいと言えます。知識や下調べが必要な面も多く、そういう手間を惜しまないブロガーには僕はまだ程遠く、さらに僕は政治に疎く(21のくせに)、宗教は日本全体でどうでもよい的扱いなので、とても書く気になれません。で、一番身近にあるものが「性」だというわけです。

「セイ」について本気で書かれた文章は読んでていつも面白いと思います。僕は「性」に関しても、正直自分の意見を持てるレベルには至らないのですが(だから書くことは結論に「繋がり得る」些細な例に限定される)、どれについてもある程度の見解は示せるようになりたいと思います。いずれ、の話ですが。
【2005/10/12 01:50】 文章 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
タマネギ(以下自粛)2
前回の続き、日独ナンパ事情です。

遊びたがると遊ばれる


ミュンヘンで育ったドイツ娘J嬢が、数々のナンパ体験談(される側)を聞かせてくれました(というか聞かされました)。

J嬢「『ごめん、番号書いた紙なくしちゃったの』、この表現は覚えておかなきゃダメよ。ナンパされた後ってオトコは必ず電話番号渡してくるでしょ。電話かけないのはもちろん「脈なし」だからだけど、街でバッタリ会ったときは、すぐこの言葉を言えるようにしとかないと。で、たいていのバカオトコは『じゃあもう一回教えてあげるよ』って言うんだけどね、あはは」

…は、はぁ。
ってか、僕がそんな話聞いてもしょうがないんすけど。
J嬢「夏は特に大変よ。めんどくさいときにはこう答えるの。『コーヒー飲まない?』『私、電話持ってないわ』」



淑女になる秘訣


さて、「へぃ、彼女、お茶しない?」に対して「結構です」と断るのがデフォルトなところにドイツ人学生は驚いたようです(せっかくのオゴリがもったいないらしい笑)。本当にそうなのかは知りませんが、僕はそういう「偏見」が大好きなのです。当然流れはそのままにします。

J嬢「なんでいきなり断っちゃうの?」
僕「日本では、『お誘い』にはまず最初に遠慮するのが礼儀みたいなものなんだよ。まず誘う→そして何となく断る→そこで『ちょっとでいいからさ』とどうしても行きたいところを強調してもう一度誘う→(もしかしたら)受け入れる、これが一連の流れだよ(←超適当)」
「おぉー」
とドイツ側から納得の声。
J嬢曰く
「ドイツでは2回も同じように誘ったらただのバカだと思われちゃうよ!」
いや、街中で1回誘うだけでもただのバカだと思うのですが。


偏見はよくないものです


しかし僕はこの「偏見」を教えたことを、後々非常に後悔しました。

ある日。
J「ふー、疲れてきたね。どっか食べに行って腰おろさない?」
僕「いいね、どこ行こうか。」
J「あー!!断らなかった!礼儀正しくない!!!」

こっちはホントに疲れてるんですって。

また別の日。ファーストキッチンでポテトを食べてるJ嬢。
J「これおいしいよ、ちょっとあげる」
僕「いいよ、もうお腹いっぱい」
J「大丈夫、ちょっとだから」
僕「いらないよ」
J「おいしいよ?」
僕「お腹いっぱいだってば」
J「そんなこと言わないで、はい!」
僕「…分かったよ(←しぶしぶ)」
J「へぇー、5回ぐらい断った?やっぱ日本人だねぇ(しみじみ)」

…。
どうせならもうちょっと色っぽく誘って欲しいんですけどね。
【2005/10/11 21:49】 ドイツ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
タマネギ食べれるぅ~?1
M氏「ヘー、カノジョォー、オチャシナーイ??」
J嬢「ケッコーデスゥー♪」
ユニクロの中で大爆笑でした。某アホ日本人が、ドイツ人男女に「日本流のナンパの仕方@日本語」をテンプレートで教えやがったのです。で、早速ドイツ人にやらせてみせたと。

こんな会話レッスン見たことないから。
ってか、そんなナンパもう存在しないから。


公的セクハラ祭?


ドイツ・ミュンヘンではついこないだまでオクトーバーフェストというビール祭りがありました。これはドイツの一大イベントで、そこら中の外国人や観光客、火星人が一同に押しかけて飲みまくるのです。留学中の友人(東大、女性)も行ったみたいですが、彼女曰く、

「もういいやって感じ」

だそうな。記事はこちら

彼女のブログを見ても分かるとおり、この祭り、実は非常に危険なお祭りのようです。大混雑の無法状態。どうなるかというと、
  • 酔っ払い多数
  • 不良多数
  • 裸になって踊るバカあり
  • 痴漢行為(警備は緩慢)
  • グラスが割れる(清掃も緩慢)
  • 見送り=お持ち帰り
などなど。ちなみに、アルバイトの女性の募集要項には、容姿端麗であることとの条件がついているとか。ドイツ人よ、恥を知りなさい、恥を。

ドイツのこの手の話は日本では考えられないものが多く、例えば来年のワールドカップに向けて経済効果をにらんで何をしているかと言えば、売春宿増強計画をしています(ドイツでは売春は合法なのです)。そりゃーは観光客多いだろうけどさぁ。。

その辺はいずれまた。ナンパの話は次回に続きます。
【2005/10/10 00:44】 ドイツ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
雲の上のそのまた上に
今、珍しく音楽を「真面目に」聴いています。別に何のことはなく、楽譜を見ながら聴いているだけですが、それも僕にとっては実に久しぶり。忘れかけていたものを思い出させてくれました。V.アシュケナージの弾くピアノ曲、シューマンの「幻想曲」です。


果てしなくロマンチックな構成。なだらかに浮き沈みする旋律。何より驚きに値するのが、旋律の下にうずもれた、豊穣な音の織り成す陰影。


表面的に聴こえる音の影に、どれほどの工夫が凝らされていることか。想像を絶する「奥行き」がそこにはありました。ピアノの可能性を徹底的に追い求める貪欲さ、一瞬の効果を大切にする一方で、それを一瞬にとどめておく謙虚さ。


作曲家の間にも絶望的なまでの力の差を見出す気分です。いったいどれ程の作曲家が、演奏形態をムダに食いつぶした曲を書いたことでしょうか。うわべだけの旋律をこねくり回し、空虚な強弱記号の羅列で飾りつけ、理論通りの和声をそのまま放り込んだような曲が、どれほど僕らの周りに溢れているでしょうか。聴衆の耳、演奏者の耳が悪いのをいいことに。


いや、そういう曲をバカにするのは筋違いかもしれません。今日の僕は、大作曲家シューマンのあまりの大きさに心底恐れ入りました。レベルが違いすぎるのです。
【2005/10/07 01:58】 音楽 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
日本文化のバイブル
成績が返ってきました。単位はここに至るまで悲惨な状況だったのですが、先学期死ぬほど頑張ったおかげでかなり何とかなりました。
というのも、リンク先(過去の僕の日記)にあるように、先学期まで4,5,6学期合わせて16.5単位だった準必修を、7学期だけで18単位集めるという偉業を成し遂げたのです。言ってしまえば僕は、亀仙人がカリン様から3年かけて奪った超聖水を、わずか3日で我が物にした孫悟空なわけです。よーし、見てろー、桃白白め!(古すぎ?)


サークルでも何でも徐々に後輩が多くなってくるのですが、今の1、2年生にとってのドラゴンボールはやはり身近なものなのでしょうか。連載終わったのって、僕らの小学校高学年くらいではなかったでしょうか(うろ覚え)。僕はマンガは詳しくないので、ネタが限られてしまいます。

通学電車の過ごし方


日独交流セミナーの話題の一つに「電車で何をしているか」というのがありました。僕のブログで度々登場するドイツ人S嬢は、
「毎日マンガを読んでいます」
と、キッパリ。
先生「え、本じゃないの?」
S嬢「マンガです。」
…中学生じゃないんだからさぁ。

そういえば、彼女は東京に来て間もないうちから山手線の駅に精通していました。彼女曰く、「マンガに出てくる」そうです。はぁー。

またある日のゼミでの先生の質問。
「ドイツ人の皆さん、日本の有名人というと、誰を思い浮かべますか?」
ドイツ人学生は口をそろえて「コイズミー!!」。なるほどね。

しかし、S嬢はボソッと一言。
「アキラ・トリヤマ…」
そう来るかい、アンタ。。。

そして実際、紀伊国屋書店に行けば、彼女はコミックスのドラゴンボールの棚に一直線。魔人ブウ編の5,6冊を鷲づかみにし、カウンターにドスン。あのさぁ・・・君、日本語読めないでしょうが。


国際社会を目指す皆さん、古いなどとは言わせません。日本文化の勉強の参考書に、ドラゴンボールを是非どうぞ。
【2005/10/06 01:46】 ドイツ | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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