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就職活どう?
就活カテゴリ新設しました。別に今始まったわけではなく、インターンの説明会とかからボチボチスーツで足を運んではいましたが、いかんせん3年のときに「就職する自分」を1秒たりとも想像しなかったもので。少しは社会勉強です。


僕は自宅生でありながらテレビは1週間で30分も見ません。新聞も、テレビ欄さえ読んでません(テレビ見ないから当たり前だけど)。なので、時代の流れはまるで追えず、ただネットニュースを覗いてみたり、バイト先に落ちてた新聞を拾って「へぇぇ」と言っては「それ、一週間前のですよ」と突っ込まれたりして情報を集めていたわけです。


スタートは早く、スタート地点は遠く


就活事はじめ、はインターンの応募。グループ面接を6月くらいに受けたのですが、話は本気で何も分かりませんでした。

まーけっつ・・・?
えくぃてぃ・・・?
みんな、日本語で質疑応答してくださいってば。

ちなみに、そのグループ面接、某外資系金融なんちゃらだったのですが、グループ5人中4人が東大生とかいうマジきもい面接でした。


…日本に大学いくつあるんでしたっけ( ̄〇 ̄;)?


しかもみんな言うことが立派。今まで積み上げてきたものも、自分とは比較になりません。ちなみに残り1人もKOの院生でした。理系なのに経済バリバリ熟知。何よそれ。


面接終わった瞬間、そのインターンの日程に予定をかぶせました。結果は大正解。さすが、自分、わはは。



ちょっとずつちょっとずつ、現実世界に踏み込んでいかなければなりません。てか、今の官房長官って誰でしたっけ…?
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【2006/11/24 01:15】 就活 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
ダイスキン
東大・本郷キャンパスにて。







これも法人化の余波なのか。
東大も新たな商売に乗り出したようです。
【2006/11/22 13:06】 日常 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
五里夢中
10月に受けたTOEICが返ってきました。見るも無残。
あらぁ、僕ってここまで出来なかったの?みたいな。


返り討ちにしてくれるわ、と思っていたのに、返り鬱になりそうです。ええ、そうでしたね、そういえばTOEICって「とんでもなくおわってるえいごのイカれたち○ぽ」の略でしたね、ええ。
(初っ端からこんなネタでスミマセン…)


きっと、これから頑張るべきだヨ、ということなんでしょう。しかし、今思うと、中学・高校などで毎日1時間英語の授業が確保されているって、なんて素敵なことなんでしょうね。最近は小学校はおろか、幼稚園の先生にも英語のスキルを求めるところもあるそうですが(!)、若い人を羨ましがる前に、実は自分たちの高校生も十分に恵まれていたんだというべきでしょう。


ああ、それなのに。
アレをやっとけばよかった、は老人の常套句。英語はその代表例で、J北の英語なんかで満足してた自分は愚かだったとつくづく思います。



しかし。



大学に入ってサークル活動は同じところで5年目。音楽「ツウ」気取りで後輩に説教たれたりするわけですが、ふと、このうち自分が「大学で」身に付けた教養はどのくらいなんだろう、と思いました。ほとんどないのです。ほとんどの知識が、高校の遺産。音楽記号、作品、作曲家、和声、その他ありとあらゆる小ネタ。大学に入ってから、本も雑誌も読まなくなり、勉強することはおろか、音楽を聴くこと自体もめっきり少なくなりました。大学に入ってやることが増えた、と言えばそう。でも、音楽に関わっている時間自体は大きく減ったわけでもなく、そして勉強していないことにも気付きませんでした(それに気付いた今は、初めて週6日の部活がはっきり意味あるものに思えてきました)。


その場で参加するだけじゃダメなんです。身体の一部にして、持ち歩いていけるようじゃないと。たくさんの人が練習のことをブログに書いている。十人十色にいろんなことを考えている。それがすごくカッコいい。場所場面を拠り所にするのではなく、自分自身が拠り所になる、それが好きになること、夢中になることで、成功への秘訣なのではないかと。


で、どうすれば英語がそうなるんだろうね。
【2006/11/19 23:48】 雑記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
ダーティー・デューティー
ここんとこホントありえないです。今日もバイト先の塾で、気付いたら日付が変わってました。家に帰るともう1時。こんな塾がどこにあるか、と。


食べているものがまた惨憺たるものです。1週間の食事の半分近くがカロリーメイト。買いだめしておいたのに瞬く間になくなり、さらに、マック、松屋、ミスド、朝のコーンフレーク、これらを足したら、食事の8割くらいになると思います。自宅生とは思えません。もはやエサレベル。


バイトが忙しくなり、就活も徐々に本格化、サークルは佳境、もちろん建築の本も読まなきゃ、手帳にはここんとこ1日に2つ以上予定が入っていない日がほとんどありません。次の「休日」は…ん?12月30日か?たぶんその日も予定入るけど。


もっとも、忙しくしているのはわざとです。手を抜こうと思えば抜けます。なのに、ヒマが怖い。そしてヒマ逃れで用事を入れて、手かせ足かせを自分で課して、しかし追いまくられてるだけで、目的も成果も充実感もない。そんな、灰色で塗りつぶされた毎日。


心が亡くなる忙しさ


今日はバイト先で、上司に「営業」が足りん、と怒られました。とーきこーしゅーの「数集め」は責任だそうです、義務だそうです。今日は4時から9時50分まで、すべて受験学年の授業で、間の休憩は夕食休憩が20分×1、一つ終わって次の授業に入るまでの休憩が10分×1、たったそれだけです。終わればミーティング、資料作り。日付が変わるまで。

いつ、「営業」やれ、と?( ̄〇 ̄;)


火曜日はもっと状況はひどく、授業時間だけで3時50分から9時40分まで、休憩は最大で10分。教材の片付けくらいで簡単に圧迫され、「夕食」のカロリーメイトを口に押し込むのもやっと、という涙が出るほど感動的で素敵な環境で働かせていただいております。

この上、さらに「営業」やれ、と?( ̄〇 ̄;)


トップダウンの極限


さらに今日はその後、呼び出されて「生徒があんたのところに質問に行かない、それがあんたの課題だ」と、それはそれは素晴らしい激励の言葉を頂きました。


休憩10分、実質3分もないこの環境で、どうやって質問を受けろと?こっちの事情なんて聞かれたためしがないです。一方的な指示。「言い訳」を試みて返り討ちで泣かされた同僚を、今まで何人も見てきました。それで辞める人もいますが、僕はそこまで弱くありません。


「はい、分かりました。」と潔く了解して、身を引きます。当然、何も状況は変わりませんけど、言い訳したら授業に間に合いませんからね。僕はカロリーメイトを取ります。


職場の悪口をブログに書いて解雇される、そんなことも最近はよくあるそうですが、受験学年全部持ってる以上、ジョーカーを握ってるのはこっちです。少なくとも気分では。それがちょっと気持ちいい。


そんなことより、何か食べたい。いや、その前に寝たい。明日は柏葉です。
【2006/11/18 03:45】 日常 | トラックバック(1) | コメント(2) | page top↑
馬の耳にも馬子にもチェロ
僕は都内の私立J北中高卒なんですけどね、家庭教師としてそこの後輩の数学を見ています。で、今日聞いたところによると、明日は音楽鑑賞会だそうなんです。

僕「へぇ、誰が来るの?」
生徒「何か有名な人らしいっすよ?ヤマグチ(←音楽の先生)が言ってた」
僕「何?歌?楽器?」
生徒「スティーブン何とか…。あ、チラシありますよ」

スティーブン・イッサーリス チェロ・リサイタル


イ、イ、イ、イッサーリス( ̄〇 ̄;)??
世界5本の指に入ろうかっていうチェリストじゃないですか!!
それが、J北の、あのオンボロ講堂に来るんですか!?



な、なんたる贅沢を。男子校の音楽鑑賞会なんて、1クラスに聴いてる人何人いるか分からない勢いですよ?「真面目に聴いちゃカッコ悪い」ですからね。ホントうらやましい、いつからそんなに金のある学校になったんだ。単位は足りてないくせに。


いいものを聴かせないと、という教育の配慮なのでしょうか。それにしても贅沢です。あー、失礼がないといいけど。


でも、全校生徒のうち、何人かが楽しんだり、何人かから芽が出れば、それで十分すぎるくらいでしょう。「楽しんできてよ」と出掛けに言ったら、彼は不思議そうにうなずいてました。



若いっていいな~。
【2006/11/17 02:32】 音楽 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
小田笑旅行記
夏のことなので、もうすっかり「思い出」です。ここまで引っ張って今更なんだよって感じですけど。

実は、柏葉同期の某M輪君と2人で小田原に行ってきたんです。入団時は兄弟と呼ばれた仲でしたが、今回は恋人として行きました。いや、うそです。ホテルを予約するのに、「ダブルベッドでいい?」と相談したら「絶対いやだ」と即・断固拒否されました。冗談に決まってるじゃんか。そんな1泊2日のプチ旅行です。
(写真はすべてクリックで拡大されます)


オダワラ・ジョー


小田原といえば、まずはこれ、小田原城です。小田原駅から降りて数分で着きます。こんな建物。




見た瞬間、「あ、鉄筋コンクリート?」と言ってしまう僕は、歴史のロマンを感じる心にあふれていること間違いありません。ロマンチストのとくさんは、頂上の展望台からの景色に、夢と希望を託していたのですが・・・・。




…美しくありません。

ぐちゃぐちゃの街。中途半端に都会です。いや、むしろこれこそ典型的な日本的風景と呼ぶべきでしょうか。



周りを歩いていても、ちぐはぐな住宅群は悲しくなるほど。たとえば下の写真は小田原城の隣の家。勝手に掲載しておいてこんなこと書くのも気が引けますけどね。。

ボク、これはお城のお屋根のちゅもりでちゅか?




幼稚園児が使うおもちゃの千円札並に安っぽいと思うのは僕だけでしょうか。


小田原城と並んで、「公園」があります。こんなのです。





これは「公園」というより「空き地」だと思います。驚異的に広い。そして、驚異的に日陰がない。てか、ベンチぐらい置こうとは誰も思わないのでしょうか。


昼夜ひたすら歩きつづけました。なぜか街のおばちゃんに町内会のお祭りに連行され、スイカをご馳走になりました。M君は自腹で観光ガイド(地図)を買いながら道が分からなくなり、僕が「地図を見たら?」というと、「迷って歩くのがいいんじゃないか」と自身満々に言い出したりとか、ワケが分からない展開も多々。


気分はオードリー


特に面白かったのは、駅の近くで見つけたこれ。




映画「ローマの休日」でもおなじみの、「真実の口」のレプリカです。この口の中に手を入れると嘘つきは噛み付かれる、とか何とか。こんなのが、何の目的か分からないですけど街中にドンとあるんです。しかも目や口から怪しい光。何なんだ。

面白半分でドキドキしながら、僕もちょっと口に手を入れてみました。
あ、真実の口のことですよ。M輪君の口じゃないです。念のため。

そしたら、なんと、真実の口がしゃべりだすんです!曰く、


「そのシャツいいねえ。でも、サイズ合ってるの?」


何なんだこの脈絡のなさ( ̄〇 ̄;)!!


てか、街中に醜い顔さらして雨水でしか顔洗えない奴にまでファッションの心配されたくありません。心からそう思いました。


美しきほのぼのレイク


そんな小田原ですが、自然はというと海あり山あり、非常にきれいでした。特に2日目に行った丹沢湖は天候にも恵まれ、2時間かけて歩いた価値のある美しさでした。(クリックで拡大します)







終わりよければすべてよし。プチ旅行にはお勧めですよ。


最後に、プロポーションにも恵まれ、夜中の暗い話に付き合う価値のある美しいM輪君の後姿を。







終わりよければすべてよし、です。
【2006/11/14 00:59】 日常 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
若きウェルテル、悩んでも死ぬな
「どんなに浮世の束縛を受けていたって、いつも胸の中には甘美な自由感情を持ち続けているんだ。自分の好む時に、現世と言う牢獄を去ることができるという自由感をさ。」
 ― ゲーテ「若きウェルテルの悩み」(高橋義孝訳)


「わ、これ、絶対読まないほうがいいよ?男のウジウジした悩みばっかでほんっっっっと、キモチワルイ!」と、生協書籍部で同期の友人に「薦められた」のが3年前でしたっけ。そうか、そんなひどいのか、と当時は思ってましたが、ついに手を伸ばしてしまいました。


…で、面白かったです笑。


アルベルトとウェルテル


「若きウェルテルの悩み」は、ご存知のように、「人妻」に恋焦がれる青年の日記で、最後は愛する人に突っぱねられて拳銃自殺する、超インモラル小説です。まぁ片想いの話はここではさておき、自殺についての記述がなかなか面白い。


例えば、本文中程に、シャルロッテの許婚・アルベルト青年VS主人公の口角泡を飛ばす議論が出てきます。

アルベルト青年の「人間はどういうつもりで自殺なんかするのか、信じられない」に対して、ウェルテルが反論します。アルベルトは自殺は現実逃避の弱さ以外の何物でもない、思慮分別を失った人間は酔っ払いや狂人と同じだ、と主張します。

これに対してウェルテルは、行為の原因を考えることなく自殺を罪とするのは無理だ、情熱と狂気は紙一重のものだ、そして肉体的苦痛が限界を振り切って死ぬことがあり得る(例えば熱病)のと同様、精神的苦痛が耐えうる限界を振り切ったのが自殺という結果である、と反論。ウェルテルはこう断言します。

「人間の心が、入り乱れ矛盾し合ういろいろの迷宮からどうしても逃げ出せなくなると、人間は死なざるをえないのだ。」


今日まで何度となく繰り返されている議論です。そして、結局二人の議論は物別れに終わります。当然ですが、あまりにも根本的に意見の向いている方向が違う場合、これは「信じる神の違い」となって議論になりません。


楽あれば苦あり、と言えど


どちらが正しいかは論じられない、そこで二人の意見で何が違うのかを見ていきます。

まず、アルベルトは自殺を「人生の苦難からの逃げでしかない」と言い、またウェルテルは「楽しかるべき人生を棒に振るだけの決断」と言います。実は理性的で楽天的に見えるアルベルトが人生を苦難と捉え、直情的で悲観的なウェルテルは(本来的には)快楽と捉えている。人生観が意見に反映されています。自殺という最終手段と、楽天的な世界観が表裏一体になっているのが分かります。

夢は持て、しかしそこにドライブがかかりすぎると破滅するというのが、この小説で浮き彫りにされている人間の微妙さです。確かに物語は、許婚のいる女性に熱狂的になった(ドライブがかかりすぎた)ウェルテルの悲劇で終わっています。

もっとも、ウェルテルがハナから人生を楽天的に考えているかというと、そうではありません。例えば冒頭に引用した、現世と言う牢獄を去る、という言葉は、実は主人公ウェルテルがシャルロッテ嬢に会う前の日記。実はここからすでに主人公が「自殺」について考察しています。こういう伏線がゲーテのすごいところ。(と、解説に書いてありました。スミマセン。)


報道から教育へ


何より、決定的に違うのは、自殺をアルベルトが「自分の意思で行うもの」と捉え、ウェルテルは「環境に追い込まれるもの」と捉えていること。この二つが、「信じる神の違い」として「対等」な意見であることは、注目する価値があると思います。


最近の報道を見ていて思うのは、これこれのいじめが自殺に追い込んだのではないかと見られている的な報道、外的原因の探求に目がいくばかりだなということです(もっともニュースで内的原因を止める話は無理でしょうけど)。校長の記者会見だの、学校叩き、それも大変結構です。アンケートをやりました、いじめ撲滅につとめます、きちんと話し合います、それも大事なことだけど。しかしそれは問題の片面、「環境」でしかない。「本人の意思」をどうしていくのか。


環境の改善が、「『生きる』力を教育する」という大プロジェクトを後回しにする言い訳になってはいけないと思うのです。もちろん、辛くても生きるんだよ、と言ったって始まらない。ここで大人は何を示せるのか。いやむしろ、大人は、生きる力を見出しているのだろうか?



時代遅れの物語、されど


やがて屋敷は荒れ果てていきました。
まま母と娘たちが贅沢をしすぎたからです。
シンデレラは虐げられ、
屋敷中の仕事を押しつけられました。
それでもシンデレラは優しさを忘れません。
毎朝希望を新たにするのです。
“いつか幸せになれる”と。
 ― ディズニー映画「シンデレラ」、冒頭より


シンデレラは、幸せになりました。

あまりにも有名で、古典的、典型的なストーリー。でも、この映画、本当に王子様と結ばれたことが一番大事なのでしょうか。王子様との結婚も、まま母の意地悪も、描き方としてはむしろドライ。

それより一際輝いているのは、シンデレラとネズミを初めとする動物たちとの友情、厚い信頼関係のなせる業。そしてそのもとになっている、彼女の希望、そして優しさ、誠実さ、正直さ。結果ではなく、プロセスなのです。

だから、お嫁にいければ幸せだなんて時代遅れもはなはだしい、などという批判はこの作品についてはお門違いだと思います。おとぎ話の中ばかりに世界を夢見てる自分もバカみたいですけど、でもこの作品はやっぱり、いい。大人にも子供にも薦めたい、大好きな映画です。




そしてもう一つ。

カボチャの馬車も、雪のようなドレスも、妖精の魔法の「夢」でしかなかった。だから12時の鐘の音と共に、幻と消えた。でも、ガラスの靴だけ、なぜか手元に残るんですよね。夢がなければ、靴もなかった。夢が見れれば、靴が残るかもしれないのです。大人がしてやれるのは、そんな魔法のようなものじゃないのかな。



3連続の自殺シリーズも、ここでおしまい。
読んで下さった方、ありがとうございました。
【2006/11/11 01:06】 読書 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
スーサイドのインサイド
前のエントリはちょっとマニアックすぎた感もなきしもあらずです。こういう作品レビューのようなものは、知ってる作品のところだけ「あぁ知ってる知ってる」と頷いていただければ結構なのです。毎度見にくくてスミマセン。


で、恋愛と自殺のことを書いてて思い出したんですけど、僕が大学1年のときにサークルで問答形式の自己紹介冊子を書かされまして、その質問に「理想の恋愛像は?」というのがあったんです。

ちょっとした新入生イジメですが、当時の僕の答えはというと、
「玉川上水ダイビングを止めあえる仲」

・・・意味不明( ̄〇 ̄;)!

小学校以来片想いでさえ経験のない、純情ボーイにいきなりそんな質問ムチャというものですよね、ね、ね。あ、もちろん僕は今でも純情ボーイです。

よね?


ちなみにその「玉川上水ダイビング」とは、作家・太宰治のことです。39歳の若さで、東京の玉川上水で愛人と入水自殺した太宰。高校時代はよく読んでました。たぶん何も理解してなかったと思うけど、だから今読んだら絶対に違う。だから読みません。


小殺家の生涯


天才は自殺するもの、昔からそう決まっています。だから自殺がカッコいいということになってしまうのかもしれませんが、しかしそれにしても小説家ほど自殺してしまう人たちはいないのではないでしょうか。


ちょっと名前を挙げてみるだけでも、有島武郎、芥川龍之介、太宰治、川端康成、三島由紀夫…と怪物たちの名前が次々と出てきます。まさに、日本の近代文学史の半分は自殺者が占めているのではないか、とさえ思わせます。


孤独で幻想的な仕事がそうさせるのか、
才能の枯渇を恐れた結果なのか、
大先輩の後を追うのか。


ただ、同じ「物書き」でも、作曲家の方が圧倒的に自殺は少ない気がします。有名作曲家で自殺した人…僕には正直思い浮かびません。書いているものが抽象的だからか、指揮をしたり演奏したり、人との接触の機会が多いからなのか。だからこそ、人間の内省の音楽的描写に半生をつぎ込んだチャイコフスキーの死因に「自殺説」がある(一般的にはコレラと言われている)のが妙に気になるのです。


鬱なときに人と話せること。
一見当たり前のものこそが、最後は命綱になる。
全てはここに行き着く気がします。


自殺ネタ。しつこいですが、もう1回分続けます。
【2006/11/08 00:56】 音楽 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
君死ぬんじゃねぇぞコラ
与謝野晶子をもじってみました。
現代語訳です。ね、そこそこ語呂がいいでしょ?(ぇ)

すみません、ここのところの話題はこればかりなもので。
そうです、自殺、自殺、自殺、です。

そういえば、こんなニュースがありました。

19歳の才能に脱帽! 自殺未遂体験をもとにした衝撃作【東京国際映画祭】

華やかなファッションに身を包んだスターたちのレッドカーペットで開幕した「第19回東京国際映画祭」も終盤に差し掛かり、最高賞となる“東京サクラグランプリ”の栄冠を目指すコンペティションの行方も気になる時期になった。そのコンペで早くからひとつ注目を浴びていた作品がオーストラリアの新鋭、ムラール・K.タルリ監督の『2:37(原題)』。本作は、現在22歳の監督が弱冠19歳で手掛けた作品なのだ。

今年からの試みとなる観客参加型の記者会見で監督は、「近しい友人を自殺で失い、その後、僕も不幸が重なり自殺未遂を起こしてしまいました。大量の酒と鎮痛剤を飲んだのですが、意識が朦朧とする中で、初めてとんでもないことをしたことに気づき、まだまだ生きたいと思いました。幸い翌日目を覚ましまして、36時間ほどでこの脚本を一気に書き上げました」と作品が実体験をもとにしたことを明かし、「事前のリサーチで日本の自殺率が高いことは知ってました。だから東京でぜひ上映したかったのです」とも明言。「そういった気持ちにいる人が踏みとどまるきっかけになればうれしい」と語った。
(@ぴあ) - 10月27日19時17分更新


すでに「自殺を誘発する」などと批判を浴び、製作側が反論する、というお決まりのパターンになっているようです。僕はもちろん自殺など考えもしませんが、一方で自殺には「禁じられた遊び」のような甘美な響きがありますよね。そのイメージが恋愛と重なるからか、昔から芸術作品にはそこかしこに取り上げられています。


バレエ「白鳥の湖」は、王子とオデット姫が、結ばれぬ恋から投身自殺をして来世で結ばれてハッピーエンド、という現代では壮絶にアリエナイ展開になっています。ちなみに、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」は同じ展開で悲劇と捉えたもの。しかしロミジュリは、悲劇というよりはロマンチック・ストーリーだと考える人が多い気がしてならないのですが、そういうところからも自殺=甘美の構図がうかがえます。

ミュラーの詩にシューベルトが曲をつけた、「美しき水車小屋の娘」。水車小屋の娘に失恋した後の主人公の青年の語りがインパクト絶大です。

そのうちの一曲、「好きな色」から抜粋します。
Grabt mir ein Grab im Wasen,
deckt mich mit gruenem Rasen,
mein Schatz hat's Gruen so gern.

草地に僕のための墓を掘り
僕を緑の芝生で覆ってくれ
僕の恋人は緑が大好きなのだから

甘くて哀しくて、とてもきれいな曲です。
死はこれほど甘美なものなのか、と。


ドイツの文豪・ゲーテの「若きウェルテルの悩み」は自殺モノの代表格。当時の常識からすれば「小説は教養たるべき」なのですが、この小説ときたら、1年半にわたって許婚のいる女性に片想いした挙句、報われない悲しみから彼女から渡された拳銃で頭を撃ちぬく…、というとんでもない問題作です。そして実際、出版されてからは自殺がひどく流行したとか。


やめてくださいって。てか、ウェルテルは小説の中の人物なんだから、マネして死んだってただの死に損じゃないですか。


一度聴いたら忘れられない


音楽でもこんなものがあります。

1933年にハンガリーで発表された歌、「暗い日曜日」。シェレッシュ・レジェー作曲、ヤーヴォル・ラースロー作詞によるものです。


曲調、歌詞ともに陰鬱で、ハンガリーではこの曲を聞いて何十人もの人が自殺。「自殺ソング」として知られ、この作品は発表当時ヨーロッパ各国で放送禁止にされたとか。何より、作曲者のレジェー自身も自殺しているのが強烈。


そして、それを映画化したのが、この作品。

「暗い日曜日」
(原題:"Gloomy Sunday - Ein Lied von Liebe und Tod"(1999))




ドイツとハンガリーの合作映画。ナチス・ドイツの台頭を背景にした、この曲にまつわる物語です。史実とはかなり変えているようですが、ドイツ映画のイチオシです


てか、ドイツ映画のくせに美人とハンサムが出てるってだけで相当珍しいと思います。…と思ったら、そもそも所詮ドイツとハンガリーの合作だし、実際ヒロインはハンガリー人で、ハンサムはイタリア人でした。なんだよ。


それはともかく、自殺を扱った映画でありながら、泥臭い「生きる強さ」を強烈に見せ付ける作品です。毒が強い作品なので何度も観たくはないですが、大事なことを教えてくれます。


自殺に甘さが求められるのは、もう古典の話。それでも生きる、何があっても生きる、その泥臭さの方が、何もかもがスマートに片付けられる現代では、逆に芸術足りうる気がします。



まず、生きないとね。
【2006/11/06 00:31】 映画 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
ゲネラル・パウゼ、そしてコーダへ
柏葉のことです。


ようやく、終わりが見えてきました。
続きを読む
【2006/11/05 00:21】 柏葉 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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