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新たな一歩へ
書くべきか書かざるべきか迷っていたんですけれど。

支えてくれたみなさん、本当にありがとう。月曜日に内定を頂きました。


運命の面接は日曜日の朝でした。日曜の朝っぱらから面接ですが、もうその辺り神経狂ってました。

僕「お時間を割いていただき感謝しております。」

質問は業界最先端云々なことで、サークルの話とか研究の話とかでは全然ありません。不勉強でしどろもどろの僕に、面接官は「ま、いいでしょう」とやさしいお言葉。あいにくながら、その言葉を聞いて何度落とされたことか。

面接官「次回の面接の連絡は…ゴールデンウィーク明けまでにしますね」

ゴールデン…って、まだまだ先じゃないですか。
しかもそこからまた次の面接ですか?
他の企業もあるんですよ?

さすが人事部だけあってヒトゴトです。これはGolden "weak"になりそう。失意のままに帰宅しました。

が、翌日・月曜日朝。なんと電話は内定の連絡です。

次回の面接がないじゃないか( ̄〇 ̄;)!!と突っ込み。


しかし、しかしね。

メチャメチャ嬉しかったんです。もう電話切るときには自分の声が倍くらいに大きくなっててマジ恥ずかしいし、面接では「決めていただければ即決します」なんて言ってたくせに「親に報告したいから折り返し電話します」なんて言っちゃったし、てか親に電話かけてもつながらないし、その日の最終面接の予定を辞退する電話を入れたのにめっちゃ嬉しそうに辞退しちゃったし、落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせてウィルスソフトをアンインストールしてから再インストールしてみたりして、意味ないぞ、おい( ̄〇 ̄;)、みたいな。

父と父の職場で話し、自宅に帰って母と話し、その日のうちに選考中の会社を全部辞退。内定先に電話しました。ほっ。


それと並行して、お世話になった人一人ずつメール。気持ちを落ち着かせながら、ちょっとずつ間を空けて。もう電話しながら部屋の中往復しまくりだし、1回の電話でありがとうって120回ぐらい言うし、その日は四谷の街中をニタニタしながら歩き回りました。恥ずかしい。。

翌日も、気づくと頬が緩んでる自分がいました。一日中幸せでした。ヤバイ。この幸せはヤバイ。昔のバイト仲間が集まってくれました。上司まで来てくれました。あああああ、もうこれが人生最高の幸せでもいいです。

===============

10月から回り始めて気づけば半年。理系としての技術職と文系としての技術職と、自らの能力に二股をかけつつ、結局内定1社、アウト6社、選考辞退7社。理系か文系か、設計やプレゼンやディスカッションの力、自分の将来像やこだわりや家庭観その他色々、勉強になりました。

欲を言えばきりがない。企業研究や業界研究、活動中の時間の使い方など惨憺たるものでしたが、そんなことより、無事決まったこと、そしてたくさんの人にオメデトウを言ってもらえたことが何より幸せです。昨日も所属する合唱団の人と飲みました。そして。…。


応援してくれた人、相談に乗ってくれた人、愚痴を聞いてくれた人、本当に本当に感謝しています。そして、まだ内定が出ていないたくさんの人にも、どうかもうじき幸せが訪れますように。みんな大好きです。
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【2007/04/28 11:27】 就活 | トラックバック(0) | コメント(12) | page top↑
分かるのも分からないのも分かる、だから。
映画「アパートの鍵貸します」(1960年、アメリカ)




1960年のアカデミー作品賞受賞のコメディです。主人公バクスターのアパートは、何部屋もある(日本からすれば)広い家で家賃はわずかに85ドル(1万円!?)。ただしそこには唯一の問題が

上司たちが優柔不断なバクスターに目をつけて、そしてバクスターも出世に目がくらみ、上司たちが彼のアパートの鍵を借りて部屋を予約、ラブホ代わりに使ってしまいます。おかげで彼は風邪を引こうが深夜だろうが部屋を追い出され、大家からはうるさいと苦情が来て、隣からは「毎日頑張りすぎだ」と不名誉をかぶされ、それでもペコペコと謝りながら毎日の「予約」をやりくりします。

そんな彼にも意中の人が。エレベーターガールのフランに憧れて、思い切って映画に誘う。しかし、ナントナント彼女は、自分が部屋を貸している部長の愛人だったのです!!というお話。


コメディでアカデミー賞というだけあって、メチャメチャ面白いです。お茶目な演出満載で、単純な素材と単純な結末でここまでどんでん返しできるのか、と呆れるほど。


それにしても、昔の映画っていいですよね。お約束がたくさんあるんですよ。
  • 美人は必ず性格もメチャメチャいいことになってるし、
  • おバカ女性は必ずキンキン声でベタベタしてて、
  • 「ちょっとヤなやつ」は価値観云々じゃなくて露骨に悪人で、
  • 主人公は献身的に女性に尽くしまくる超々いいヤツで、
  • なのに所詮顔に惚れてるだけで
  • そしてみんなお決まりの「悲しい過去」を持ってるけど、
  • 何だかんだでロマンチックにまとめられちゃう


「ご趣味は何ですか?」なんてどこぞのお見合いみたいな話は果てしなくどうでもいい。絶対的な幸せがあって、どこまでもいい人だったりどこまでも努力したり尽くしたりすると、いつの間にかそれが自然と手に入っている、そしてお互いに全てが分かり合えている。おとぎ話といえばおとぎ話、だけど人を幸せにする世界観がある。

この映画もその意味では典型的。でも、随所に凝らされた工夫、ウィットに富んで上品に楽しいギャグがあります。おススメの一本です。


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一方のこちら。

映画「ロスト・イン・トランスレーション」(2003年、アメリカ)




こちらはアカデミー脚本賞受賞作品です。

舞台は東京。アメリカ人のベテラン俳優がCMの撮影のために来日する。何もかもが違う文化。通訳を通した会話に気疲れし、演出家が何を言ってるのか分からないまま、ごまかしごまかしの仕事をする。「東京を楽しんできて」。アメリカの妻の言葉が痛々しい。

一方、とあるカメラマンの夫の仕事に同行してホテルに滞在する若い女性。観光して、僧侶のお経を聞いても何も分からず、「イケバナ」にだってなにも感じない。そんな孤独に傷つき疲れた二人が、ホテルでたまたま会う。お互いの寂寥感をそっと確認しあう、そんな映画です。

  • 新宿東口のネオンサイン。
  • 薬局。飲み屋。消費者金融の広告。
  • 渋谷ハチ公前のスクランブル交差点。
  • ゲームセンターに入れば不良が音ゲー。
  • それをコギャルのカノジョが眺めてる。
  • カタコトの英語で国際派気取りの日本人。
  • 深夜番組。お笑いタレントのバカっぷり。

マニュアル通りの受付は一生懸命日本語で話してる。アメリカ人はアメリカ人で新宿の大通りを平気で斜め横断し、病院でバカ騒ぎをし、コミュニケーションには努力出来ない。

高級しゃぶしゃぶ店に入って、モモだのヒレだのロースだの、違いも分からないまま注文する。出てくるときにはこの一言。

「自分で料理しなくちゃいけないなんて最低の店だな」

な、なるほど・・・( ̄〇 ̄;)。


この映画には、一人たりとも「悪人」が出てこない。誰もが一生懸命に話し、しかし誰もが分かり合えない。「ロスト・イン・トランスレーション」とは、直訳すれば「翻訳の中で失われたもの」。アメリカ人と日本人の間の言葉の問題を超えて、夫と妻との会話、友人同士の会話、すべてに「分かり合えない」つらさと、強烈なまでの倦怠感が漂っていました。

現代的な作品。これはこれでとても「面白い」映画でした。



両作品の差はわずかに40年


40年の差、それはわずかに1世代ちょい。1世代そこらの間に、こうまで違う世界が描かれることに、感嘆を超えてある種の恐ろしさを感じます。

一つに、世界中が夢を見ていた時代が終わった、という回顧主義も可能ですが、人間がそこまで変わったというのはやや乱暴な気がします。映画が映すのは時代である、というけれど、ここまで違う世界観が出来たのは、映画が時代の反映のみならず、それ自体が芸術史という名の生き物として歩いているからかもしれません。

1960年。人は「アパート」を夢として観ていた。時代が流れ、2003年。人は「ロスト・イン~」を現実(の中に潜む最も悲しい部分)として観ていた。

人も歩いている。でも、それ以上に速すぎる芸術の流れを、首をひねりながら目で追う人の姿を想像しました。


・・・でも、そのイメージだけでは語りきれないところもたくさんあって、これでは10年先の映画のことを考えられないし、現代だって希望的映画は沢山生まれている。ただ、何となく「アパート~」には現代に蘇らないだろう不思議な魅力を感じたし、もちろん「ロスト・イン~」は60年代に完成しえない作品だと思う。そして、それほど違う両者に、両方とも共感できる自分を見つけたとき、ニンゲンってよく出来た生き物だな、とため息をつくわけです。

時代を映した芸術、映画。
その映画が映すのは、普段見つめない自分の姿。

だから人は「映我館」に通うのか。



僕ももっと観たいです。
【2007/04/21 15:49】 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
メイド・イン・イケブクロ
メイド喫茶に行ってきました。友人お勧めのお店です。曰く、
メイド喫茶は、秋葉原もいいけど、エロの要素なしで萌えを求めるなら池袋のほうがいいと聞いたので、池袋へ。
(友人の日記より)

だそうなので、じゃあ当然秋葉原だな、と思ったのですが、同行してくれた純情ボーイのことを考えて池袋にしました。

雨の日でした。昼前に、傘をさして、池袋なのに人通りの少ない区画を、一目散にメイド喫茶目指して歩いていく純情ボーイズ(←複数形。重要)の、ドキドキの入店です。

メイドさん「いらっしゃいませ♪」

・・・え、「いらっしゃいませ♪」の後は?僕の期待は裏切られます。

正直、「ご主人様」って言われたかった。

甘い期待は見事に打ち砕かれましたが(この後もあくまで「お客様」でした)、店内の内装はとてもきれい。トイレも清潔ですし、木製・ダイヤルの電話(普通に使っている!)などレトロな工夫も満載です。女性が安心して入れるメイド喫茶、というのも非常に納得。

店内の音楽にはクラシック。シューベルトのピアノ曲がかかっていました。が、何の脈絡もなくブツッと切れる。あれ?と思いきや、振り出しに戻ってまた始まる。そして途中でまたブツッと切れる。かつてないタイプのBGMです。しばらくすると、チャイコフスキーの「花のワルツ」に変わりました。そしてなぜか、またしてもエンドレス・リピート。たった1曲で、エンドレス・リピート。いいのか、こんなんで( ̄〇 ̄;)。

==============

それはともかく、ランチタイムです。

メニューはパスタ750円、ハヤシライス780円など、比較的良心的でした。しかしふたたび、僕の期待は裏切られます。

あれ、オムライスがないよ(・_・;)?
ケチャップで名前を描いてくれるサービスはないの?


仕方がないので、ここはパスタで我慢ですが、それでは面白くないので、コース料理に挑戦しました。ケーキと紅茶がついて…なんと1500円。某サークルの合唱喫茶よりボッタクリの気がしないでもありませんが、調子に乗って紅茶をオプションの「メイドティー」とやらでお願いしました。

その他に、メイドごとに設定された『メイドティー』がございます。その日ご給仕させていただいているメイドによってお紅茶が変わりますので、どうぞお好みのメイドティーを探してみてください。
(メニューより)

探すも何も、何杯飲めというのだ。
趣旨の分からないサービスもいいところです。
というか、このメイドティー、単品で頼むと850円
た、たけぇ・・・( ̄〇 ̄;)。


そして問題の味。先に言っときますけど、紅茶とケーキは本当においしかったです。でもね。みたび、僕の期待は裏切られます。

パスタひでぇよ( ̄〇 ̄;)。

明らかにゆで過ぎ。一本つかむとベッタリわらわらと大量の麺がついてきます。噛むとぐちゃぐちゃ。これはひどい。デザートで口直しです。

セットにしといてよかった、と言いたいところですが、よく考えると、プロの出すものとしてこれはないだろうと文句をつけたい。しかし、もうちょっとよく考えると、メイドとは女中のことなのでコックではないんですね。納得しました、よく出来ています。

結局メイドティー特別割り増しだとか席料とかで、小計1800円。中々立派なランチでした。

確かにいい加減なセットにしては値は張りましたが、しかしイベント性を考えれば妥当なところかもしれません。「ご主人様」「オムライス」など、いわゆる秋葉原的ステレオタイプに従ってはいませんが、接客にはむしろプライドを感じました。店内はやったら静かで、メイドさん同士の話も声をひそめてるので、店内の空気はむしろ気まずいくらいです。てか、あんたらどんだけオシトヤカに「かしこまりました☆」って言うんだと。


宴のあと


「ありがとうございました。」
メイドさんが道路に出てお見送りしてくださいます。これはありがたやありがたや。深々とアタマを下げられて、お店を後にする僕ら。しかし、僕の期待は裏切られ…、いや、てか驚きました。

3メートル歩いて振り返る僕ら。
メイドの頭は下がったまま。

5メートル歩いて振り返る僕ら。
やはりメイドの頭は下がったまま。腰が90度曲がってます。

僕らが曲がり角を曲がって姿を消すまで、メイドは90度腰を曲げたままでした。いやぁ、ご立派ご立派。遠くから黙って顔を上げるのを待ってみようなんてイタズラ、まさか僕らがするはずもありません。

メイドさんたちにはもちろん、そしてこれが「女中喫茶」「下女喫茶」だったらこうはならないだろうな、とヨコモジのパワーにも感謝の念を忘れないよう肝に銘じました。


ちなみにお店のホームページはこちら。興味があればぜひどうぞ。そして詳しい方、この純情ボーイに秋葉原情報をくださいませ。
【2007/04/16 01:54】 日常 | トラックバック(0) | コメント(7) | page top↑
ジョウブナカラダは贅沢品
頭痛がひどくて目が覚めました。熱を測れば38.5度。しかし驚きません。この数字に慣れてる自分が怖くなります。

就活が本格化してきた3月から、毎週1~2回のペースで寝込んでいます。一晩寝て治るときもあれば、就活含めて何日も休むことも。さすがにこのペースは普通じゃないような気がしてきました。

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そういえば、昔友人と話してたときのこと。

僕「僕の腕力って、女の人の中で考えたらどのくらいあるんだろ?真ん中くらいあるのかな?」

友人T氏、即座に返答。

T「それは女の人を馬鹿にしすぎだろ

( ̄〇 ̄;)!そのときはそんな感じでしたが。
・・・でも、まぁそうな気がします。腕力はともかく、耐力は確実に。いや、腕力もかな。


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面接官には
「学生時代に何に取り組みましたか?」
と聞かれるより、
「1日7時間、週5日働けますか?」
と聞かれたほうがよっぽど困りますし、実際向こうとしてもはるかに本質的な質問です。そう聞かれても「大丈夫です」と答えるでしょうけど、心の中では社会人不適格者の恐れでいっぱい。

昨日は説明会→面接→バイト(かてきょ)でした。かてきょは子供のそばにいるだけだし、説明会は1時間半、面接はしょせん30分。忙しいといってもこんなもんです。社会人の方が肉体的にも精神的にも厳しいのは明白。なのに。

寝てると本当にくやしくなります。充実した日を過ごして「しまう」と、必ず来る反動。1日寝込んでパァにする、みんなはその間にも頑張れるのに。学部生は普通に学業を両立させてる。サークル・部活を続けてる人もいる。なのに。

いろいろ限界が見えることが多い今日この頃。ジョウブナカラダを持つ人には、頑張ってほしいな。贅沢な才能なんだから。


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親と話しました。会社を絞り込んで、それがムリなら少なくとももう1年研究に残ります。内定はゼロ。でも、持ち駒をさらに減らすことにしました。


・・てか寝よ。
【2007/04/11 04:32】 就活 | トラックバック(0) | コメント(9) | page top↑
誰がための表現
友人の日記から聴かせていただきました。リストの「ラ・カンパネラ」。いろいろな演奏がCDやら何やらで出ている名曲ですが、この演奏はリアルなお化けです。是非お楽しみください。


(リスト作曲「ラ・カンパネラ」(ピアノ:エフゲニー・キーシン))

凄まじいですよね、この技巧。ただ、この記事では技巧はおいといて、表現についてちょっと思ったことを書きます。

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音楽の難しいところに「間の取り方」があります。音符をどこまで、休符をどれほどといった露骨なところから、微妙な強弱変化やテンポ変化、歌ならイントネーションや個々の子音の発音など、演奏側はたくさんのことを考え、実行する、それが「表現」です。そしてその「表現」を、「間」に変えていく、これがやっぱりプロの技術だと思います。


演奏していると表現にどんどん熱が入っていきます。そして、身体を動かす分、身体自体も熱を発してきます。汗もかきます。キーシンの演奏の熱血ぶりがすさまじいのは十分見て取れます。もちろん、お客さんだってテンションは上がります。身も乗り出して聞くでしょう。でも、ここで演奏者と聴衆では「温度」の上がり方が全然違う。表現は、そこを踏まえて設計しないと、痛々しいことになります。

  • テンポを上げたら速すぎた
  • フォルテッシモが絶叫になった
  • ゲネラル・パウゼ(=全休止)が長すぎた
  • アゴーギク(=テンポ変化)が利きすぎてフレーズが切れた

アマチュアの演奏でありがちな例です。しかし、キーシンの演奏を聴くと、当然ながらそれが微塵も感じられない。なぜか。それは、どれほど自分の熱が上がっていても、観客の熱における「いい演奏」に忠実だからです。大汗をかいたフェルマータ、一息つきたい、しかし、そこで一息つくのは演奏者の熱による要求であって、観客の要求ではない。自らが観客の熱で思い描ける一番いい演奏がうんと具体的であり、そしてその実現に向けて自らの身体欲求さえ超えてしまうような、強烈なエネルギーがあります。

などと書くと、たいそう難しいことのように聞こえますが、例えば、うんと難しい曲があってこれを「難しいからゆっくりやろう」とゆっくり弾いた演奏に感動できるでしょうか。「難しいから」というのは演奏者側の理由であって、聴き手の知ったことではない。聴き手は聴き手側の理想のテンポがあって、そこを汲み取ってもらえない限り感動は無理なのです。


表現も同じ。聴き手には聴き手の要求がある、演奏者はそこに耳を向ける必要があるのです。演奏者だってもともとは聴き手の耳から始まっているはず。なのに、演奏するときだけ演奏者の耳になってしまい、録音をまた聴き手の耳で聴いてみたら、アラアラ痛いことになってるじゃん、って、これではダメなのです。


お客さんに表現を伝えよう、それは大いに結構。でも伝えるべき表現がお客さん仕様のものかちゃんと考えたほうがいいんじゃないかナ、と思う演奏が、大学合唱団など特によくあるような気がします。

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キーシンに話を戻して。

上の動画でも、熱っぽくアゴーギクをかけようと思えばかけられるポイントは沢山あります。でも、そんなところで「お楽しみ」を作らない。大事なところを印象付ける細工をしながら、「その曲全体が作っている熱狂の渦」に引きずりこむ姿勢を絶対に崩しません。


旋律の変わり目が分かりやすいので、改めてチェックしてみると面白いかもしれません。注目すべきは、動画の残り時間でいうと1分30秒前後、1分15秒前後、そしてクライマックス直前の残り30秒前後の、一瞬の惹きつけと強烈なスピード感の対比。「感動するヒマも与えない感動」、これぞプロ中のプロの表現だと思います。


【2007/04/09 00:55】 音楽 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
地球が小さな日
面接ラッシュのラストはグループディスカッション、阪大院生と戦争してきました。面接官の目にどう映ったかは知ったことではありません。楽しかったです(笑。

にしても、仕事で議論となると普通に笑顔でいられるし言い合いもできるのですが、さて面接が終わって帰る段、プライベートな話となると、たちまち舌が回らなくなるというか、バリアを張ってしまうのが自分で分かります。話すのもギクシャクするほど気を遣うし、相手の話に警戒するし、自分が話を聞けてるんだか聞けてないんだかも分からない。この性格は直したいなぁ、仕事人間になりそう。

毎日新しい人と会い、そして同じような話(面接での志望動機だの、就職同期の進捗状況だの)を何度も何度もする、学生生活ではなかなか出来ない経験ですが、それゆえ自分の痛さが良く分かります。うぐぅ。


今日は韓国人の友達と将来の話をしながら昼食。5年先まで見通すような話でした。兵役制度のため、修士を1年半で修了するように論文に取り組むことにしたらしいです。ふぅ、こんな甘い国にいて弱音吐いてちゃダメですね。


そういえば、ドイツで知り合ったベトナムの友人に昨日2年ぶりにメールしたら、わずか数時間で帰ってきました。まだドイツにいて、しかもさらにあと4年ドイツで勉強するだとか

あと、日本で知り合ったドイツ人の社会人の友達からもメールが来て、この夏ひと月だけ日本に勉強に来るんだとか。おそらく日本語は全く仕事と関係していないはずですが、「上司は自分がきちんと勉強することを喜んでくれるだろう」と結ばれていました。

日本じゃあり得んな、この感覚( ̄〇 ̄ ;)。


「なせばなる、洗えば食える、何物も」。クレヨンしんちゃんの名言です。学年が落ちても洗ってもらえることを期待しつつある自分が楽しくなってきました(←ダメダメ)。



全然関係ないですが、サークルの新勧シーズンです。ビラ撒きくらいなら1時間半くらいは手伝えるかと思って本郷に行ったらキャンパスは閑散。
・・・健康診断って駒場ですか?( ̄〇 ̄ ;)
・・・返り討ちです。皆さん頑張ってください。
【2007/04/07 16:15】 就活 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
貧しさの中の豊かさ
研究室の謝恩会がありました。修士の方、博士の方、おめでとうございます。僕の研究室はあまりゼミなどが活発ではないため、先生や先輩方とじっくり話せるのは貴重な機会です。スミッコの僕の席の隣は、同期で外資系金融への就職が決まった中国からの留学生。向かいは、チェコ語、ハンガリー語を自在に操る東欧研究のドクターの方と、1年間のドイツ留学を終えて建築家を目指す修士の先輩。恐ろしすぎます。

話は世界中を駆け巡りました。地名がポンポン出てきて「あっち」だの「こっち」だの言われ、ドイツの都市しか知らない僕としては肩身の狭い限り。てか、ブタペストでどこそこの駅を降りてどっちに何キロ歩くと何があるだのの話が平然と飛び交います。どうしようかと思いました。

「1年間向こうにいると生活スタイルが向こうのに慣れて、まだ日本のに戻しきれないんだよね」
屋外のカフェでのんびり書き物をする。そんな光景が日常だそうです。その後の先輩の言葉が、僕の心を突き刺しました。
「あいつらって国は貧しいくせに、一人ひとりは豊かに見えるんだよね」


「豊かさはお金じゃない」。それは一見、当たり前の結論ですが、一方でこの「餅」は絵から抜け切れていないのも事実。理念ばかりじゃ仕方がないのです。金と学歴で人生をはかるのは論外ですが、でも「豊かさは~」みたいな否定の理念の命題だけというのも断じて嫌です。


僕は日本が、東京が大好きです。ドイツに住みたいとは思いません(ドイツが精神的に豊かな国だとも思ってないし)。でも、安全、便利、快適な国だからこそ、そこに精神的な豊かさが欲しい。個人レベルなら両立は可能なんじゃないかな。そのために、今の自分の価値観じゃない、十人十色、十国十色の幸せを、もっともっとリアルに見てみたい。
足りないものがいっぱいあるから、
私はまだ私なんだ。
私じゃない人にとりかこまれているから、
私はまだ私になれるんだ。
― 谷川俊太郎「やさしさは愛じゃない」より

本当の意味でこれを理解できるのはいつの日のことやら。僕は今年で24歳です。


やりがいが生きがい


説明会の帰り、同じ説明会で会った人としばらく話して帰りました。彼女は横浜市にある某有名建築家の設計事務所で働いているそうです。そうです、はるか昔に紹介した、あの事務所です。


時給200円。建築という巨大市場で、そういうアホみたいな環境が成り立っているところがすごい。

ちなみに東京の最低時給は719円、神奈川も717円です(平成18年10月1日現在。詳しくはこちら)。これらはホントに文字通り「最低」ですが、サイヤ人の限界を超えた超サイヤ人のそのまた限界を超えたスーパーなんちゃらがあるように、そしてそれが何の恥ずかしげもなく描かれ放送されるように、最低を余裕で下回る時給の職場があり、そこで当然のように需要と供給のバランスが整っていることはまさに驚き桃の木です。


てか、刑務所の時給ってみなさんご存知ですか?なんと、最高で時給36円70銭、見習い工に至っては時給5円20銭です。銭って単位がこんなところに出てくるのかよ、と突っ込みを入れたくなるアナタ、突っ込みどころはそっちじゃありません。その某設計事務所の時給200円というのは、神奈川県の最低賃金717円と刑務所の5円20銭の時給と、どちらに近いでしょうか、さぁさぁさぁ


それにしても時給200円で、コンスタントに働く、というのは本当にすごい。1日8時間働いて1600円。昼食夕食で使い切ります。その日暮らしの極めつけ。「何でそんなところで働いてるんですか?」思わず聞いた僕がバカでした。

「私建築大好きなんですよ~。勉強とかは本当バカなんですけど、これだけは絶対やりたくて」


目の色が誰よりも深く見えました。僕には死んでも真似できませんが、必要なときにまた引ける「幸せカタログ」の一項目にしようと思いました。


収入は社会的評価


しかし、それも結局はやりがい至上主義でしかないのです。先日、高校の友人2人と飲みました。話は最初から最後までカネとガクレキ。これはこれでやっぱり避けて通れません。僕の就活先を聞いた友人の反応はというと。
「え、そんなとこで働こうなんて本気で考えてるの!?3年働いて、○○社のボーナス1回分かもしれないよ?」



まぁさすがにここは行く気はなかったからいいですけど。


夢の国ディズニーランドのポップコーンだってきっちり高い


夢って高くつきますよね。そういえば、3月30日発行のR25によると、
「結婚相手はちゃんと働いてる人がいい」と答える女性の真意は「年収600万円以上の正社員希望」(81/100人!)
だとか。僕の目指す会社で年収600万を狙えるくらいには、お金の代わりに髪がなくなってそうです。悲しいかな、夢も愛も現実とは切り離せません。僕の頭皮と毛根も、大人の世界の夢と現実くらいしっかりくっついていたら、とか書いていると本気で痛々しくなってきたので、話を戻すことにします。


憧れてきた仕事がそのまま高収入な仕事である人が、正直少しうらやましくなります。彼らもお金で仕事を選んでるわけでは決してないでしょう。学部を選ぶのは高校生です。大人のアドバイスを聞いたり(しかしあくまで理念)、自分で調べたり(それもあくまで理念)、そしてその理念とはずっと遠いところで挫折したり出会いがあったりして、その結果、たまたま高収入の仕事に結びついたり、そうでもなかったりする。


しかし、彼らが自分の憧れの仕事以外の仕事に向ける興味と、社会的にレベルが低いとされている仕事を憧れとしてきた人たちが他の仕事に向ける興味とでは、圧倒的に迷いの度合いが違うのではないでしょうか。その背景にあるのは、やっぱりお金に代表される、社会的地位です。そう思うと、現実を知ってしまった大人が子供に「○○になりなさい」というのも(いい悪いは別に)理解できる気がしてきます。


嫉妬する者に幸福の権利はありません。いろんな人がいて、いろんな人生がある。本当にそれを認められるには、ひとつに他者の人生に寛容になること、ふたつに自分の人生に誇りを持つこと。じゃあ誇りを持つためにはどうしたらいいか。その解答の一つが「トップになること」でした。そして東大に入った。しかしそこから先はどうか。同じくトップになることを目標にしてもいいでしょう。でも、僕はそこでストップがかかった。セカンドエリート、東大工学部。別の答えを探す日々です。
【2007/04/06 22:22】 就活 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
画力も一夜漬け
今日から4日で6社の面接。一つの山になりそうです。文系の人から見れば4日で6社ってのは別にたいしたことはないかもしれません。数はね。でもそのうち3社でこう言われてるんです。

図面持参のこと。

出た、建築クオリティ( ̄〇 ̄;)!!!

まぁその場で設計させられるよかマシかもしれませんが、明日の企業はオリジナル課題が出ています。図面の練習を全くしてこなかった身としてはまさに地獄。ただでさえ学部が他大学より短い上に、必修以外の製図関係はすべて未履修、研究室は音響→歴史と図面を避けて通ってきました。

口先だけならどうにでも言えますが(いや言えませんけど)手を動かせって言われるとやっぱり化けの皮がはがれます。イタイイタイ。

想像上の家の内観の絵を必死に何枚も描いているのですが、そもそも家に見えません。模型を作って写真に撮ってそれを写す、という安直極まりないやり方「しか」試みたことのない学生には、「想像して描く」というのが出来ないのです。


明日1社に提出です。まさか就活でまでこうなるとは思いませんでした。


某建築系企業で社員さんへの質問会があったとき、描いている絵を見せてもらいました。あまりの上手さに驚いた学生が、これ描くのにどのくらいかかるんですか?と質問。

社員「いや、すぐだよ?やってみせようか?」

えええ?見せてくれるんですか?

あれよあれよという間に部屋が出来、テレビが置かれ、ソファが置かれ、テーブルが置かれていきました。「あ、お客さんワインが好きなんですか~」などと、社員さんはロールプレイングしながら、その周りに花瓶だのワイングラスだのを次々とレイアウト。しかも。

僕ら学生に見えるように上下さかさまに描いてました。

・・・本気で化け物だと思いました。本人曰く、絵は「うまい方ではない」そうです。訓練でどこまでいけるのかな。


てか、問題はあと8時間でどこまでいけるのかですけどね。

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【2007/04/04 01:51】 就活 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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