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ストレートならずのストリート(ベトナム旅行記2)
こっちに来て最初の衝撃は、やはり道路。空港から市内までをタクシーで走り抜けましたが、これが無法地帯も甚だしい。はっきり言って、めちゃめちゃです。
  • センターラインがあるのに、その上をまっすぐ走る車多数
  • 数メートルの車両間隔のまま、すり抜けるように追い越しを繰り返し、
  • 二人乗りのバイクがひしめき、三人乗り、四人乗りも珍しくなく、
  • 気づいたら40キロ道路で90キロ出していて、
  • 安全のため(?)クラクションは常にどこかで鳴っている。


無法地帯もいいところ。歩くと、このすごさがさらによく分かります。

  • 歩行者は、日本で言う3車線道路を「あうんの呼吸」で渡ります。
  • 横断歩道を探すなんて時間の無駄。
  • 歩道もバイク駐輪で埋め尽くされているところ多数、従って歩行者は車道を歩く。
  • 信号を待ってても、青になって半分も渡らないうちに赤になる無意味さ加減


大切なのは、「車が見えても絶対に焦らず、また立ち止まらないこと」だそうです。そうすると、自然と車がよけていく悟りの境地に到達できます。


・・・ってねぇ。


実際問題、口で言うのは簡単ですが、車が来ても轢かれないと信じて歩くスピードを変えないこと、これはなかなか難しい。思わず足を速めたり、止めてしまったりの小心者の僕。


あ、
車だ、
ぶつかる、
急がなきゃ、
あ、向こうから、
ひえ、あーーーーーーーー


バイクとぶつかりました( ̄〇 ̄;)。。


向こうは急ブレーキ、しかし間に合いません。こちらは右腕ガードで体を守って、よろめく程度で済みました。あやまるのはこっち。「いいよいいよ」というのは向こう。自分弱えぇorz


幸い、怪我なくすみましたし、右腕の痛みもすぐ消えました。そして文字通り身をもって、交通安全というみんなのマナーの大切さを実感した次第です。

みなさんくれぐれも違反無きよう(←3月につかまった身↓↓)。
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【2007/05/31 16:28】 旅行記 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
ベトナム教のタクシー洗礼(ベトナム旅行記1)
無事、到着しました。
首都です!ハノイです!!
さぞかし立派なところに違いありません。


人口は決して少なくないはずの首都なのに、飛行機はまさにガラガラ。5人がけの座席をぶち抜いて勝手にファーストクラスにしてる人多数。成田発の飛行機だけあって、やっぱり日本人が多いですが、スーツケースのビジネスマンの多い中、リュック1個で両手の空いた学生は何かしら居心地悪い。観光地じゃないのか??


ハノイの空港に着いて、さて、と、地図を広げるやいなや。

ベトナム人「タクシー?タクシー?」

出た、悪名高きタクシーの客引き。「友達待ってるんです」と慣れないウソをついたものの、「何時にどこの待ち合わせ?2人とも送るよ」。ここで慌てて今何時かを確認するようでは時すでに遅し。慌てて逃げましたが、市内に行くにはどのみちタクシーしかなさそうです。


この後、日本人ビジネスマンと話して意気投合、結局タクシーに乗ることにしました。僕が先、ビジネスマンが後に降りる予定を、「予定変えるよ?」などとドライバーがビジネスマン(見るからに強そう)の方を先に降ろす。・・・嫌な予感がしましたが、彼が降りると代わりに見知らぬベトナム人が乗ってくる。「どこのホテル?あ、そこ、満室なんだ。代わりのホテル紹介してあげるよ、行こう!」あっという間に出発。タクシードライバーと客引きとホテルがグルなんです。


このあたりの事情は旅行ガイドなり人づてなりで嫌になるほど聞いてたんですけどね、やっぱり根負けしてしまいました。さんざん振り回されながらも断固譲らず、最後は歩いて目的地に辿り着く。エアコンはないけど、インターネットあり、シャワーあり、食堂あり、中心部に近く悪くありません。1泊600円。外国人と相部屋ですが。


===============


やはり噂に聞くとおり、このあたりの商売根性はなかなかのものです。ベトナム2日目の今日はタクシーに呼び止められ(タクシーってこっちが呼び止めるもんじゃないのか?)、「どこ行きたいの?」と聞かれました。

「○○博物館です」と答えて、ヤツの言うことと来たら。

「あ、その博物館ね、今日しまってるんだよ」

出たよ。

笑ってバイバイしました。強くなってやる(笑
【2007/05/30 17:33】 旅行記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
いざ、東南アジアへ!!
書いてなかったのですが、明日から旅に出ます。明日の今頃、僕はベトナムの首都、ハノイにいるはずです。


行きたいな~、とは思ってました。3月くらいに後輩と話したとき、「2週間くらいさらっと短めに行ってきたいな」と言ったら、「いや長いですから」と突っ込まれました。


計画したのはゴールデンウィーク明けてから。
出国日が決まったのは、5月12日。

・・・出発2週間半前です( ̄〇 ̄;)。


さらに予定を詰めていって、行程の大枠が決まったのは1週間ほど前。2週間の旅行?やっぱりそれじゃ足りないです。


東南アジア、29日間の旅になりました!
もちろん1人旅です。


1ヶ月の旅を、2週間半前から10日もかけて準備するなんて、僕ってなんて計画的なんでしょう。アジア旅行は初めてなので、慎重に慎重に準備したのです。


わざわざ雨季に行くのも、決して計画を立てた後に気づいたわけではありません。鳥インフルエンザ、破傷風、ウィルス性肝炎各種、狂犬病、マラリア、デング熱…と、伝染病の類がひどいらしいので、心配になってちゃーんと医者に行きました。


大事そうなのを予防注射してください、と言ったら出発日を聞かれたので「来週です」と答えました。
医者「そんな、キミ、いきなり言われたって無理に決まってるでしょ

怒られてしまいました。いいです。僕は屈強の男を自負することにします。


成長の記録


初めての個人旅行は大学4年のドイツ6週間の旅でしたが、あの時はあまりに計画がいい加減すぎて、時差があることさえ忘れてました。着いたら外はすでに暗く、雪はシンシンと降り、そして気づいてみたらなんとなんと、予定の日付より1日早いではないか( ̄〇 ̄;)。ホテルの予約は翌日からしかしていない、という惨憺たる旅立ちでした。おかげでドイツ旅行初日にして、ドイツのホテルにドイツからドイツ語で電話して予約するというスリリングな展開を味わいました。


いや、忙しくて考える暇がなかったのです。
何てったって、出国前日にディズニーランド行ってましたからね。


・・・最低だな、自分( ̄〇 ̄;)。



それに比べて今回は準備万端です。
唯一の不安は明日6時に起きられるかどうか。

ホテル?そんなもん面倒なので取ってません。着いてから探します。



いざ、常夏の国々へ


そういや行くところ書いてませんでしたね。
ベトナム、カンボジア、タイ。以上です。
シンガポールみたいな先進国は、今回はパス。



僕は不安でいっぱいです。もしかしたらみなさんにもう会えないかも知れません。応援してください、そしてmixiで足あとを見つけて笑ってください(←たぶん結構つけると思う笑)。そして無駄メール大歓迎です。絶対喜びます(笑。

何かありましたら、↓↓

(僕の下の名前)_pit@yahoo.co.jp

または

mixiの「メッセージ」まで。



それでは!!!
【2007/05/28 23:52】 旅行記 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
チャレンジ!「聖書を読む会」
本郷周辺をフラフラと歩いていたら、突然メガネのおばさんに声をかけられました。
女性「あの~、すみません・・・」

ふっと足を止めて、「はい?」と返事。
女性「あの、聖書に興味ありませんか?



く・・・。
いきなり「聖書に興味ありませんか?」と聞かれたら間違いなく無視して通るところですが、足を止めさせてから本題に入るとはなかなかのテクニシャン。

よし、乗ってやろうじゃないの。
僕「あ、はい、少し・・・」

ゲームの始まりです。

女性「よかったらうちの教会で聖書を読む勉強会をやってるので、ぜひ一度来られてはいかがですか?」
あれよあれよという間に、そのままその教会に行くことになってしまいました。家庭教師に向かうまでの暇つぶしに困っていたとはいえ、予想外犬もビックリな展開です。
  • 「専攻は何ですか?」
  • 「いま大学何年生ですか?」
  • 「聖書は読んだことありますか?」
  • 「教会には行ったことあるんですか?」
歩きながらの質問ラッシュ。大学のサークル新歓期みたいです。合間を縫って、こっちからも質問します。さすがに何も知らないのは怖いですから。

僕「あの、これからいく教会ってどこにあるんですか?」
女性「すぐ近くです、そのうち分かりますよ

僕「教会のホームページなどありましたら伺いたいんですけど」
女性「あ、ごめんなさい、ホームページまだないんですよ~


・・・怪しすぎる( ̄〇 ̄;)。


もうちょっと突っ込んでみると、プロテスタントの一派(僕も多少知っているところ)だと分かりました。「○○教みたいな怪しい宗教じゃないので」とやたらと他の宗教を悪く言うところに逆に怪しさを感じつつ。
僕「あ、何かのために連絡先教えていただけますか?」

とこちらから紙で連絡先を書いてもらう。ウソの可能性はもちろんありますが、携帯アドレスに電話番号とスラスラ書いていたので、信用してみることに。お礼を言ってポケットに紙を入れ、そして「あ、Tokuさんの連絡先を…」と言われたらすぐに「後ほど書きますので」と丁重に断る。このくらい警戒しないとやっていけません。



案内されたのは小さな暗いビル

女性「なんか、全然教会じゃないって感じですよね~。でもここなんです、ここの二階に事務所があるので

いや、怖いから( ̄〇 ̄;)。

「お先にどうぞ」と言われましたが、「いえ、どうぞ」と女性を先に階段を上ってもらい、退路をしっかり確認しながらいざ、ビルの中へ。


教会は1K


「事務所」はまさに事務所でした。明るい蛍光灯、オフィスデスク、パソコン、本、本、本。僕らが入ると明らかに日本人じゃない女性が「こんにちは~」と挨拶してきます。パソコンに向かっている男性も、軽く挨拶してきました。明らかにケンカしても勝てなさそうな大男。

・・・まぁ僕がケンカして勝てそうな男がこの世に存在するのかという話もありますが。


さて。

事務所の白壁にとって付けたような十字架の前に、女性が跪(ひざまず)きます。そしてお祈り。明らかに異質な空間です。彼女がお祈りしている間、僕はといえば、後ろの扉にカギがかけられていないかチェック。

疲れる・・・。
この時点で来たことを半ば後悔してました。

机に案内されると、案内おばさんのマンツーマン指導だということが分かりました。

「○○ページを開いてもらえますか?」

言われるままにページを開くと、イエスがなんちゃらのエピソード。一見確かに勉強会の教材として面白そうではあります。世界のベストセラー、一読の価値はあります。しかし。
女性「じゃあここから、私と一緒に声を出して読んでもらえますか?

ウソでしょ、斉読ですか!?( ̄〇 ̄;)

小学校じゃないんだから・・・。


斉読が終わると、じゃあもう一度初めから読んでみましょう、といわれる。そして2行読んだところでストップ。
女性「ここでイエス様は何を言われているのでしょう?」

回りくどいなぁ、と思いつつ、自分なりに答えてみる。もちろん知識はなし。
女性「なるほど。これは実はですね・・・

「実は」はいいからフィードバックしてよ( ̄〇 ̄;)勉強になんないじゃん!


もう何が「勉強会」だか分からない。これじゃ「洗脳会」です。
そして僕から1メートルの距離で、例の大男がパソコンに向かっている、この圧迫感。そして、このオバサン、何者なんだ?

15分。

30分。

45分。


・・・アウト。ここでギブアップしました。
すみませんOTL。。


めっちゃ謝りました。口実はこの後の用事でしたが、この環境ではとてもまともに耳を傾けられません、と素直に言いました。しかし、「帰らせてください」という僕に、「聖書は初めはとっつきにくいかもしれませんが…」とトンチンカンな説得をするおばさん。やべぇ、ラチがあかない、と思ったそのとき。


大男がこっちを向きました。


ラスボス登場、しかし正体は実は牧師


「たぶん疑問に思ってることがあるんでしょうね」

と、大男。

ええ、ええ、そりゃありますわ。
僕が勝手に飛び込んだとはいえ、あなた方、得体が知れなさすぎますもん。


いったいここの人たちは何者なのか、なぜ道で人に声をかけて連れてきてまで聖書を読むのか、そして読みに来る(僕のような変)人は果たしているのか。我慢の限界でした。


詳しくは書けませんが、断片的に書くと。

  • 「多分新興宗教とか、そういうのを警戒してらっしゃるんだと思います。」
  • 「キリスト教の教え自体に、伝道の大切さがある。だから大航海時代から、ずっとヨーロッパは非キリスト教圏にキリスト教を伝える努力をしてきた。」
  • 「ところが日本人は気質もあって伝道するということ自体には重きを置けなかった。キリスト教はわずかに人口の1%、他の宗教も決して大きな割合はない。」
  • 「一方で生活の中での苦しみは他の国と変わらずあって、さまざまな新興宗教が生み出された。」
  • 「それらが数々の社会的問題を起こす中で、宗教の「伝道」や宗教自体にものすごく悪いイメージが作られた。だから自分たちがやっていることは少なからず「常識にかなっていない」ように見えるかもしれないが、一方でそこにはキリスト教の今までの「伝道しきれない」失態にも責任はあると思う。」


こんな感じでした。そして、牧師さんは僕にこう聞いてきました。
  • 「あなたは例えば観た映画のよさを友達に伝えようと思ったことはありませんか?伝道だって、もともとはそんなものなんです。なのに、そう見えないんですよね?」


改めて落ち着いて牧師さんの顔を見てみると、とっても優しそうな目。穏やかな口調。そして、言葉はとても真剣でした。自分の中で安堵が広がっていくのを感じました。


そして、考えさせられました。でも自分の意見やそれ以上の質問は留めました。議論が目的ではないですし、すごく疲れていたので。

僕「連絡先を頂いたので、こちらからまた連絡致します。」
牧師さん「分かりました、お待ちしていますよ」


そう笑顔で送り出されて、「事務所」を出ました。


別々の道を歩む人たち


この人たちは、本当に果てしなくいい人たちなんだ、と。
どこまでもいい人たちなんだけど、自分はそこを信じきれないんだ、と。
お互いに分かり合えないんだ、と。


その教会の人たちは、それぞれ自分の職場で働きながら、教会の活動をしているんだとか。そこには僕らが思うような「見返り」の概念はない、それでも真剣に取り組んでいる。


疑ったのは事実です。でも、今やほとんど氷解している。プロテスタントの聖書主義。「箱」にこだわらずに「そこにある場所」で教えを学ぶ、という建築史。社会科の知識が現実に繋がって、すっと納得。


だけど。だけど。
やっぱり、無理だ、と思いました。


どれほど論理的に説得力があったって、やっぱり育てられた「常識」に照らし合わせてしまう。僕の何かが、彼らの何かを拒否してしまうのです。


そして、あらゆる言葉や出来事を神様に持っていく宗教は、僕にはやっぱり少し合わないかもしれない、と思いました。片っ端から「神様の思し召し」にするよりは、何がなんだか分からない段階まで来てから「神様」を考えたい、というか。


たぶんその「教会」に僕が戻ることはもうありません。でも、ほんの少しでも、自分の知らない世界が垣間見れてよかった、と思いました。


よい子の皆様へ


一応、言っておきます。

僕の場合はたまたま事なきを得ましたが、

あやしい勧誘には、皆さんご注意くださいませ( ̄〇 ̄)。
(↑って、僕が引っかかりそう…)
【2007/05/26 04:00】 日常 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
もういいかい もういいよ
柏葉うまいよ!!( ̄〇 ̄;)
と素直に感嘆を、というか感嘆を通り越して大興奮でした。六連定演です。一年のときにも聴きに行ってないので正真正銘初めて。あの曲を舞台近くで聴いた僕は、迫力にひたすら圧倒されたわけです。ある意味ベストポジション(笑。

そして社会人の先輩がたくさん会場にいたのにちょっとしんみり。3年目、5年目とかでこうやって帰ってこられる人はスゴいと思いつつ、またちょっと羨ましかったです。

そして
すべての
まぼろしが
きえさり
たんぽぽの
たねが
ゆっくりと
そらにただよい
いけに
はもんのひろがる
あさ
このちじょうで

ぼくは
しんだ

(もういいかい
もういいよ)

( ― 谷川俊太郎「ぼく」より)



===============

柏葉の話です。グロ注意w。


前回前々回と夫婦にスポットを当てましたが、僕は去年の5年生の自分を、柏葉の主フだと思ってました。2年生や3年生の戦士たちが稼いでくれたお金で養ってもらいつつ、ちょいちょいとお手伝いしながら生活する自分を。


「働きもしない上級生」と実際にも言われたけど、ただ上級生は望んだって働けないのです。仮に望んだって「変わり者だ」と見られるだけで、評価や感じられるやりがいは2・3年生の役職とは全然違う。だから、「働けないなりに何とか働けないか」と思って、気の利かない自分を何とか変えようと思ったつもりでした(そして気の利く人のすごさを思い知った)。


だから柏葉5年生は僕のちょっとした「主フの擬似体験」。そして、そこであまりにクタビれたので、こりゃ僕には主フは向いてないんだ、と思ったりもしました(半分冗談だけど)。


===============


だけど、考えてるうちに、「自分は世話になりつつ環境を整えて安心して働く人が働けるように考える『主フ』だ、と自分で思っていること」がものすごく傲慢だってことに気づいた。


主フなしには戦士は戦士でいられないはず。果たして本当に求められていたのか、自分が求められる「主フ」足りえてたのか、と。そう考えたときに、役職を家庭になぞらえるなら、柏葉という母体を働いて支える2・3年生こそがむしろ主フで(彼らは組織・柏葉と互いに必要)、僕は「姑」ではないか、と思えてきました。


僕がやったことはほとんど誰にでも出来ることでした。たぶん僕は、近年の上級生の中でも比較的働いた方だと思う。でも、仮に事務作業で見ても実は僕の作業量は全部足したって役職の一つにも遠く及ばないものだったし、何より歌で貢献できない裏返しでしかないことは、よくよく承知していました。
  • 別にいたからどう、いなかったからどう、ということもない、姑。
  • ただ昔からいたからそこにいる、という姑。
  • 経験を積んでるつもりになっていろいろと口を挟みつつ、そのくせ大して働けない姑。
  • 嫁(婿)から、「感謝しなくちゃ」と思われている、姑。
(一応断っておきますが、ここでの姑は、一般的な「嫁から見た悪いイメージの姑」です。誤解なきよう。)


働いたつもり。でも、働けど・働けどなお・わが柏葉、じゃないけど、人を幸せにするってものすごく難しい。例えば募金活動で自分が投じたコインはきっとどこかで誰かの役に立っているんだろうけれど、受け取る側からすれば、それは寄付という抽象的なものでしかない。受け取って、たしかにそれがワクチンになったりノートになったりするけれど、果たして人はそれで幸せを感じられるのでしょうか。作業が減ろうが、環境が整おうが、それと「幸せ」にはズレがある。話がぶっ飛んじゃうけど、アメリカのイラク支援にも、(若干違うと思うけど)その辺りのことがチラついている。自分は何をしてるのか。


すすんで手伝った。あちこちに首を突っ込んだから、僕のおかげで「多少はラクになった」人は少なくないはず。でも、それでデカイ顔されたらたまったもんじゃないよね。定演のレセと夜通しでは、その辺りのことがバラバラと崩れていくのを思い知りました。


=============


僕はこのブログの他に非公開の日記をつけていますが、六連定演を聴きに行く前日には去年の六連定演の直前の日記を読み返していました。テナーのヘッポコ単独最上級生。多くの人はそんなのにヘコタれやしないだろうに、僕は勝手に自分でコテンパンになっています。誰かに言われたことがたくさん「」付きで書いてある。たぶん相当神経を尖らせていたんだと思う。びくびくした日々。


たくさんの人にありがとうって言われてたのに、つらい記憶ばかりが残っちゃう。それは本当に申し訳ないけれど、一方でしょうがない部分もあって、当たり前のことを言われて当たり前に解釈できなくなっていました。六連は定演のスタートでもありました。定演に乗るか乗らないかさえ、4月からずっと引きずっていて、テナーの発声中いきなり泣き出したっけ。かっこ・Jちゃんごめん。


定演の夜通し会場に着いて、一人ひとりが話すときに自分の言ったことを、僕はハッキリ覚えています。
「仕事は鎮痛剤にしかならない。自分と同じ過ごし方は絶対にしてほしくない」
その気持ちは今もまったく変わりません。ただ、じゃあ何をすればいいのかというと、それもまだ分かりません。


=============


ただ誤解がないように書いておくと、今でも5年目の柏葉に参加できて本当によかったと思っていることも、昔と今で全く変わっていません。多くの人に感謝していますし、またつらい思い出も今のところ何とか飲み込めています。


そして6年目は乗れません。自分のために、です。それはある意味残念だし、ものすごく皮肉だと思う。一番愛着のある学年が卒団する年、一番大好きな学年が責任学年の年。


だけど、これ以上いるよりも自分のためにやりたいことがあるし、また、これ以上いるよりも柏葉のためにやりたいことがあって、それは外からしかできないことです。ボロボロになったほとんど悔いのない5年生生活の、たった一つ、くやしくてたまらなかった失敗を、今年は修正したい。六連定演で初めて外から柏葉を見て、新しい関わり方への整理がつきました。
卒業は、「終わり」であると同時に「始まり」でもある。「終わった」のに「始まり」が見えていないから、5年目がまだ現在進行形。さーて、この現状を打破しなきゃね。
( ― 2007年1月9日の記事より)


トンネルを抜けて、突然の明るさに眩暈がしたまま長々フラフラしてたけど、この記事をもって5年目はおしまい。視界が戻ったところで、いよいよ「6年目」に入ります。
ここでただいまを言い続けよう
おまえがお帰りなさいをくり返す間
ここへ何度でも帰って来よう
( ― 谷川俊太郎「地球へのピクニック」より)



5年間お世話になりました。本当にありがとう。

そして六連定演。いい演奏を、いい演奏会を、ありがとう。


そして、もうちょっとだけ、関わらせてやってください。
【2007/05/25 03:02】 柏葉 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
ノーイクキュー・ノーサンキュー
就活中のイヤな体験。とある建築系企業での説明会でのこと。

社員さんが出てきて、「みなさんからの質問をざっくばらんに答えます」タイムのことです。「何でも聞いてください、何でも正直に答えます。」

一人の女性が手を挙げました。
「私は(工事)現場監督をやりたいと思っています。御社には、女性の現場監督はどのくらいいらっしゃいますか?

全国展開している企業です。とはいえ、建築の現場など、ヘルメットをかぶった屈強の男どもがワンサカいる場所。そのトップを志願する女性は、間違いなく少数派です。ある程度の答えは予想はしていました。でも。
社員「ゼロですね。ええ、全国でゼロです。

「全国でゼロ」というのもビックリですが百歩譲って仕方がないとして、こうまで開き直るか。てか2度言うか。心からそう思いました。質問した女子学生の顔にはっきり失望の色が浮かぶ。直前のグループワークで、理路整然たるプレゼンをした人でした。企業はこうして人材を失う。



続けて僕が手を挙げました。立って、質問。
僕「男性社員で育児休暇を取得する方はどのくらいいらっしゃいますか?また期間はどのくらいですか?」

前の受け答えを聞いた以上、はっきり言ってダメモト。しかし、答えは予想をさらに超えます。
社員「男性じゃ、いないですよ。まぁ、男で育児休暇なんてねぇ~
そう言って社員同士で顔を見合わせて笑います。

ざっくばらんすぎだろ( ̄〇 ̄;)


そこでいきなり僕に振ってきました。
社員「何?君は、じゃあ育児休暇欲しいわけ?」
僕「いや、そういうわけじゃないんですけれど…」

とっさに出た自分の言葉で、背筋が凍りつくのを感じました。たぶん、こうやって多くの人が社会に飲み込まれていくのでしょう。この日は一日中悔しかったです。あーあ、書いちゃった。

時代はまだ変わっていない。



大海知らずの専業主婦考(以下、長文)


企業戦士と専業主婦。どこにでもあるこのパターンですが、どこまでお互いに分かり合えてるのカナ、と学生は想像します。

  • 帰って最初に、「なんだフロ炊けてないのか」
  • 月に1度は電話に出たら?
  • ウチの子4年生だってば
  • あたしの名前は「おい」かよ

まぁ最後のとかはリアルひどいですけど、ちらちらと小耳に挟む話ではあります。

一方で、企業戦士側から見たら主婦ってどうなのか。
  • オレは1日15時間働いていて、
  • あいつはオレの金で食っていて、
  • 家事だ育児だというけれど、
  • 子供を学校に預けてテニスだ水泳だランチだヨガだ、
  • 近所の話はもううんざり

などと、本気で文句を「言わせれば」いくらでも出そうな気がしますが、不思議とこちらはあまり聞きません。満足なのか、無関心なのか、はたまたタブーなのか。でも、これで世の中の多くが成り立っているんですね。


まぁお互いにこういう不満を持ったらカンタンに破局するでしょう。ほとんどの夫婦が、寛容か、寛容という名の無関心で、うまく通ってきているはず。じゃあその背景には何があるか。


役割の影のバランス


外の仕事は労働時間も責任も半端じゃない、ただ、一方で刺激的なコミュニケーションが取れ、成果を挙げる喜びがあり、名前が残り、社会的な安定と信頼を感じられる。


一方、家庭の仕事。労働時間は子供が小さい間の24時間臨戦態勢の時期を経てしまうと、標準的な家事なら1日数時間で事足りるはず。窓を磨いたって夜更けに帰るダンナが気づいてくれるはずもなく、料理のレシピ開拓だってよほどじゃなければ5年も10年も続きはしない。子供の成長が生きがいだ、そう思って何が悪いか。


要は、企業戦士はハイコストハイリターンであり、専業主フ(若干の仕事をしている場合も含む)はローコストローリターン、それぞれ釣り合いは取れているのだと思うのです。だからうまく行ってる夫婦は意識上にしろ無意識下にしろその両面が「分かって」いるわけだし、逆にうまくいかずに相手を批判したくなったなら、その両面を見る努力が必要な気がします。「育児だって家事だって大変なのにアイツときたら」「テレビばっかり見てるくせにアイツは」というアタリは、事実でありながら冷静さを欠いた批判です。


時代の連続変化


つまり、企業戦士&専業主婦は、全く違う役割を持つことによって立場を相対化し、ハイコストハイリターンとローコストローリターンという微妙なバランスで多くの家庭が成り立ってきたのです。そこにはもちろん弱点もあった。
  • 夫の暴力に耐えながら30年尽くしてきて離婚となり、手に入るのは年金のみとなった女性。
  • 何から何まで妻にお膳立てしてもらい、定年退職した途端に生活の場を失い途方に暮れる男性。

企業戦士&専業主婦の中にある「ほころび」、そこをさらに改善したい。その想いが、兼業主フ、つまり仕事&家庭のダブルヘッダー増加の背景にあると思われます。


もちろん要因はそれだけではなく、女性の高学歴化や、女性が就業しやすい環境が整いつつあること、夫の経済基盤の脆弱化といったことも挙げられます。政治家諸氏が指摘するように、経済効率的にも共働きの方がよいでしょう(女性の企業戦士、男性の「専業主夫」もそれぞれ増加しているはずです)。1987年から2002年までの18~34歳の未婚女性の理想ライフコースとして「専業主婦コース」を挙げるのは、36.7%から20.1%にまで減少しています(内閣府「平成18年度国民生活白書」)。


現時点で、夫婦共働きが企業戦士&専業主フよりも「優れている」とか、そうで「あるべき」だ、などとは決して断言できません。分かっていることは、企業戦士&専業主フの従来モデルが、ある程度の安定性は発揮できるということ、しかしそこにまたハッキリしたデメリットや危険性がある、ということです。だから、時代は兼業主フ夫婦という未知の世界に踏み込んでいく。それは、「優れているから」ではなく、「挑戦したいから」なのです。

(註:専業主フが「時代の被害者」という言い方は、ある意味では正しいですが、基本的に的を得ていないと思います。、「総合的に考えて、あなたは現在の生活にどの程度満足していますか」という問いについて、有職者(正規社員・非正規社員・自営自由業)では5割前後であるのに対し、専業主婦の生活満足度は7割以上を示しているというデータもあります。(ベネッセ教育研究開発センター「研究所報VOL.37『若者の仕事生活実態調査報告書』」2006年)。正しい「ある意味」については後述。)


政治家が国を豊かにすることを考えるのは(場合による善悪はともかく)理解できないことではないので、専業主フに対する風当たりは多少強いものがあるでしょう。しかし、個人のレベルで専業主フは果たしてそこまで叩かれるものでしょうか。


複雑きわまる現状の問題


男性が専業主婦の悪口を「言わせれば」こうなるだろう、というのを前に書きました。しかし実際問題、家庭を守る女性をもっとも軽蔑しているのは、企業戦士の男性ではなく、働く女性である、という話もよく耳にします。それは非常に理解できる。働く女性とは、「世界が狭い自分」を振り払うようにして、そこまでたどり着いた人たち。家庭を守る女性を、自分が振り払ってきた「悪しきお手本」のように感じるのは半ば当然だと思います。


しかし現実は、まだまだ企業戦士の社会なのです。
  • 企業の長時間労働は、同じことを夫婦で行ったらどうやって子供を育てるのか分からないほどのところが少なからずあり、
  • 「成果主義」は拘束となって、兼業主フへの道に大きな障壁となり、
  • 労働時間が長い分だけ賃金もはずみ、配偶者が専業主フになるゆとりは十分すぎるほど
「働く」という行為自体に価値を見出さなければ、働かないことが合理的と思われても仕方がない状態が、いまだ現実なのです。

(参考:「平成18年度国民生活白書」によると、95年から99年の間に結婚した女性の就業率は、結婚前には88.5%、結婚後には65.3%まで低下し、離職の理由として「結婚に伴う転居」を挙げた者が4割と多いのです。さらに、結婚後は65.3%であった就業率は、出産後には23.1%にまで低下します。)


教育にも大きな責任があると言えます。兼業主婦となれる女性は、努力ももちろんしたでしょうが、環境も少なからず整っていたと考えられます。「女性は家庭」、この価値観は幼少から中学の間に吹き込まれている可能性も否定できません。教育に突っ込むと長くなるので割愛しますが、本人の選択以前に与えられた「選択の根拠」の影響はバカにならないと思うのです。

(註:これが、満足にもかかわらず「被害者」であるという前述の「正しい意味」と考えられます。)



小さな社会と大きな社会


夫婦二頭立ての兼業主フ。日本人はいま未開の地に挑戦している真っ最中です。挑戦する側から見れば、専業主フなどさぞ「狭い」「安直な」考えでしょう。社会全体の利を考えれば、悪でさえあるかもしれない。


しかし一方で、企業戦士と専業主婦は、傷のある成果を残してきたことも事実。現実も、企業戦士向けの労働規則が少なくなく、専業主婦向けの子育て価値観が残り、そして専業か兼業かを「選べる」大人に、すでに旧来の価値観が本人の意思と関係ないところで刷り込まれてしまっています。何より、当人たちが納得している。


冒頭、就活の体験から、育児休暇の話を出しました。「男が育児休暇なんてねぇ」という旧態依然たる体質。頭にくるのをぐっとこらえて一歩引いて見たときに、女性の育児休業取得率が70%を超えているのに対し、男性の育児休業取得率が1%に満たない現実がありました(厚生労働省「平成16年度女性雇用管理基本調査」)。

(註:「機会があれば育児休業を取得したいと考えている」男性が4割を超えているという報告もあります(内閣府「平成18年度国民生活白書」)


批判するのはカンタンです。だけど、批判される側に、あまりにも現実的な必然性と合理性がある。罵り合ったって仕方がありません。大事なことは、極端な功利主義や全体主義、十把一絡げの本質主義に流されることなく、きちんと相手の立場を認めていくこと。その上で「未来に挑戦する」側としては、いかにその挑戦が魅力的なものであるかを示していくこと。当然、それは男女共通の課題です。



政治家でなくともすべきことはあります。
ある者は法で。
ある者は教育で。
ある者は日常で、自身の家庭で。


現実を受け入れて、思いやりを忘れずに。そして、出来ることを一つずつ。





(註:あーあ、上げちゃった。あんまりコメント荒らさないでくださいね。)
【2007/05/22 01:59】 就活 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
天才夫婦の破局 ~ 映画「シルヴィア」
シルヴィア・プラス。みなさんはこの名前をご存知ですか?


シルヴィア・プラス(1932 - 1963)は、20世紀のアメリカの詩人。天才と言われ、ケンブリッジ大学で同じく偉大なアメリカの詩人・テッド・ヒューズと電撃結婚。そして詩集を発表しながら30歳の若さで自殺。死後29年たってから認められ、ピューリッツァー賞を受賞した、そんな人。

2003年に映画になりました。公式ホームページはこちら





才能と美貌を欲しいままにし、イギリスに留学。そこで出会ったテッド・ヒューズ。天才は天才を求め、一瞬にして恋の炎は燃え上がり、親の反対を押し切ってわずか4ヶ月にして学生結婚


結婚した2人はお互いを刺激しあいながら、それぞれ数々の出版社やコンテストに作品を送る。やがて夫・テッドの詩がニューヨークで文学賞を受賞。一方のシルヴィアは、新聞に一言、批評が載るだけ。どれほどつらいか。


教師の仕事に追われ、そして家事も行い、執筆の時間が取れない苦しみ。それに輪をかけるかのように、夫への疑いのまなざしが芽生えてくる。テッドを激しく攻撃するシルヴィア、そして別の女性のもとに走るテッド。ついに別居となります。


やがてテッドが戻ってきます。テッドの腕の中に抱かれるシルヴィア。浮気相手と別れて欲しい、そう静かに言います。

テッドの答えは、ノー


シルヴィア「・・なぜ?」


テッド「もう身ごもってる。」


うんと静かで、残酷な結末。彼女は2人の子供を残したまま、オーブンに頭を突っ込んで自殺。壮絶な死に方です。



働く女性の苦しみ


天才夫婦。絵に描いたようなカップル。しかし、ここで描かれているシルヴィアの苦しみたるや、成功する夫への嫉妬、夫の女性問題への疑惑とそれに伴う自分への不安、経済問題の心配、家事や仕事での創作時間の不足、と枚挙にいとまがありません。


そして、皮肉なことに、夫と別離したとき「今が一番幸せ」とシルヴィアは言います。「こんなに書いたのは初めて」とも。そして、このときの詩集で、シルヴィアは死後認められることになるのです。でも、シルヴィアの「生」はその幸せには甘んじなかった。


もう一度繰り返します。舞台は遠くない過去、20世紀です。いまの僕たちと切り離せない世界です。その世界で、シルヴィアには何一つ「事件」なんぞなかった。「テッドが別の女性に走ったのが問題だ」「家事を手伝わなかったのが問題だ」あげつらうのはカンタンですが、でも、それらさえ運命の歯車に従った結果のような描かれ方がされています。


手探りの共働きの悲劇。問題が多すぎること、問題が何かさえ分からないこと、それが苦しい、そして当り散らすしかない、だから破滅する。

ひどいわ!
あなたの詩をタイプし、
何も書かず教師をして時間を無駄に!

あなたの栄光のために表彰されるべきね!
英米詩に「貢献」したんだから!

シルヴィアの叫びには、悲痛なものがあります。



そして編集者との会話には、こんな痛々しい皮肉もあります。

編集者「赤ん坊がいて執筆は?」

シルヴィア「ムリよ。…テッドは書いてるわ。
大事なことでしょ?本物の詩人は彼だもの」



21世紀の挑戦


この映画の舞台になった時代より、現代のほうがよほど共働きに寛容になってきています。それでも、性役割が意識されたり(例えば家事が女性に極端に片寄る)、互いの成功に神経を尖らせたりする面がなくなったわけではないでしょう。


共働きが無理なのではない。
天才カップルが無理なのでもない。
この夫婦の破局はこの夫婦だけのうんと個人的な問題です。テッドにもっと気遣いがあればこうはならなかったかもしれない、結婚が遅かったらこうはならなかったかもしれない、そしてシルヴィアが「ま、いいか!」と笑っていられるほど「鈍かっ」たら、まずこうはならないでしょう。


個別的な問題だけど、構造的なことを考えさせられる。それはあらゆる芸術の基本要素です。でも、伝記映画という制約が大きい中で、その当たり前のことを当たり前以上に見せてくれる。よく出来た映画だな、と思いました。



誕生日の手紙


最後に史実をちょっと振り返ります。シルヴィアがもっとも充実していた頃の詩集(「エアリアル」など)を出版に至らしめたのは、他ならぬテッドでした。

シルヴィアの名が知れるに従って、フェミニストから「殺人犯」などと罵声を浴び続け、そして一切の弁明をせずに創作にこもったと言われています。

そして次々と名作を発表。イギリスの桂冠詩人となります。

また、シルヴィアの死後35年、詩集「誕生日の手紙」を出しました。シルヴィアとの出会いからその後を綴った、彼女のための詩集。そして、それが最後の詩集となって、偉大な桂冠詩人はこの世を去ります。1998年。つい最近です。

==========

なーんて言うと、テッドがさも「実はいいヤツ」なように聞こえますが、実際シルヴィアが自殺してすぐに、テッドが走った先の愛人も自殺してたりとかして、どんな男だったんだよ、と突っ込みたくなるのも事実。


シルヴィアの日記を出版したのはテッドですが、自殺直前の日記はなぜか「なくなって」いて、書かれてないのか、テッドが破棄したのかは永遠のナゾ。訳が分からないミステリアスな男です。


でも、本当につい最近まで生きていた人。もちろん、「誕生日の手紙」は出版されています。てか、僕の本棚にもあります。




ノロケでも後悔でも弁明でも未練でもない、宙をさまようような詩の数々。僕には全然分かりませんでしたが、少なくとも「映画は」オススメしますよ(笑。
【2007/05/20 00:53】 映画 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
映画「点子ちゃんとアントン」
同名の小説、いや、「童話」の映画化です。エーリヒ・ケストナーは僕の大好きなドイツの童話作家。説教くさいところは本当に「お説教」ですが、鋭いまなざしをユーモアや温かさでたっぷり包んでくれます。


「点子ちゃんとアントン」(Puenktchen und Anton、1999年、独)



2人の小学生、点子ちゃんとアントンの友情物語です。

点子ちゃんはお金持ち。お父さんはお医者さん。お母さんは世界で活躍するボランティア団体の代表者。豪邸に住み、小学校へは車で送り迎え、家庭教師にフランス語を習います。

大好きなお父さん、お母さんは、仕事が忙しくて全然構ってもらえない。お母さんと一緒にいたい。なのに、お母さんは仕事ばかり、そして仕事の話ばかり。

「恵まれている」はずの点子ちゃんが、夜中にこっそり窓から抜け出し、ボロをまとって地下鉄の駅で「アイスクリームの歌」を歌います。「同業者」がアコーディオンで伴奏をつけてくれ、あっという間に黒山の人だかり。家に戻って小銭を数えて大喜びする点子ちゃん、マジかわいい(笑。


一方のアントンは母子家庭。お母さんはアイスクリーム屋で働くも身体が弱く、ついに病の床に伏せてしまいます。少年・アントンは母親の代わりにアイスクリーム屋さんで働いて、必死に母を看病する日々。


===========


世界の貧しい子たちのために働きながら娘が見えていない、点子ちゃんのお母さん。貧しいアントンを思わず毛嫌いしてしまう、点子ちゃんのお母さん。それが、徐々に点子ちゃんを、アントン一家を見つめ直していくのです。


子供たちが「出来すぎ」な分の不自然さは否めないけど、本当にあったかいドラマ。ケストナーの原作もそうだけど、この映画も、大人が見るべき映画だと思います。



別れの人生


就職活動中に思ったこと、その一つに、就職が人生最大規模の「別れの場」になるかもしれない、というのがあります。


小学校のクラスは、テンでバラバラ、人種のるつぼ、「同じ市に住む」が唯一の共通点。僕は12歳から私立中学へ、周りが「裕福な家の男子」ばかりになりました。大学は志高きエリート集団。そして、大学から社会へ。


どんどん人間関係は変わっていって、それを人は「広がる」というけれど、一方で自分の属性が徐々に決まっていって、その何が表に出るかによって付き合いが変わっていくだけ。アドレス帳の登録数件数は増えたって、関係はむしろ「狭まって」いるのかもしれません。


「優秀な人たちの中で働いてみたいと思いませんか?」

学生に投げかけた企業の言葉に、思わず裏を感じてしまいます。高学歴層の職場への期待は低学歴層への決別を意味し、高所得層の職場は低所得層との決別を意味し、ハンサムな職場はブへの決別を意味する。この質問に、何も考えずにうなずくことなど出来るわけがありません。


でも一方で負け犬の弁な気もします。もっとはっきり言えば、厳しい職場で自分に期待できる成長の魅力が、目先の「広さ」に及ばなかっただけだと思う。「広さ」なんて、エリートでも、見えている人は見えているもの。なのか。


今の僕には正直、よくわかりません。10年後にこの文章を見返したい気持ちです。




・・・映画に話を戻して。



わたしは あす あなたにあいたい


たぶん、点子ちゃんとアントンは、これから全く別の道を歩んでいく気がします。大人になったとき、二人の生活圏はきっと全然別のものになってしまいそう。少なくとも、そうなる可能性は高い。うんとうがった見方をすれば、この二人の友情は、小学生同士だから成り立ったかもしれないと思うのです。


エリートの点子ちゃんは、大人になっても貧しいアントンに会いたいと思うだろうか。でも、思ったとしても、アントンがそう思ってない可能性も高い。人柄じゃ、ない。社会。残酷。



ケストナーは原作の童話の途中で、いくつか「立ち止まって考えたこと」というコラムを書いています。ここで紹介するのは、有名なマリー・アントワネットのエピソード、でも、ケストナーはそれを笑い話で終わらせません。最後にそこから抜粋します。



(原作です)

 「パンが足りない?ならば、ケーキを食べればいいのに」
みんなは、王妃が貧しい人びとをからかって、そんなことを言ったんだ、と思うかもしれないね。ちがうんだ。王妃は、貧乏がどんなものか、知らなかったんだ!王妃は、たまたまパンが足りなければ、人はケーキを食べるもの、と思いこんでいた。王妃は民衆を知らなかった。貧乏を知らなかった。それから一年後、王妃が首をはねられたのは、そのためだった。

 みんなは、貧しいということがどんなにつらいか、もしもお金持ちがちいさいころから知っていたら、貧乏なんてわりと簡単になくせると、思わないか?みんなは、お金持ちの子どもたちが、「大きくなって、父さんの銀行や、土地や、工場をうけついだら、はたらく人たちをもっとしあわせにしてあげる」と言うと思わないか?だって、はたらく人たちは、子どものころ、いっしょに遊んだ仲間なのだから……。

こんなことができるって、みんなは信じるだろうか?
そうなるように力を貸そうと、みんなは思うだろうか?

 ― 「点子ちゃんとアントン」(エーリヒ・ケストナー作、池田香代子訳、岩波少年文庫)より



あくまで童話。

でも、大人の方がドキリとしませんか。



今日は会社の内定者懇親会です。
【2007/05/17 15:48】 映画 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
Whole Hall ~群馬音楽センター
音楽好きなら、やっぱり気になる、コンサートホール。
建築好きでも、やっぱり気になる、コンサートホール。
音楽と建築が好きなら、まさに垂涎の的、コンサートホール。


行ってきました、群馬県高崎市。ここに、「現代建築の父」と呼ばれるアントニン・レーモンドの代表作とされるコンサートホールがあります。それが、群馬音楽センター、群馬交響楽団の本拠地です。


いや、これはすごい。本気でビックリしました。群馬に来た甲斐があったというもの。興奮しまくりました。




こちらが外観。コンクリートがどっしりとした無骨なデザイン。建物が出来たのは1961年。今とはやはりデザインが違う。今の感覚で言えば、「ダサい」と言う人がいてもおかしくありません。これのどこがいいんだ?と思った方、ぜひこの記事をお読みください(笑)
(写真はすべてクリックで大きくなります。ちょっと大きめにしたのでぜひご覧ください。)


「60年代」という叫び


入り口を入るとこんな感じ。コンクリートの梁がむき出しになっています。床もほとんど無彩色、どこか暗く、重々しい。いかにも60年代。





さて、奥に2階に通じる階段が見えると思います。この階段、近くでご覧ください。




コンクリートの「うねり」が、強烈なインパクトを与えてきます。曲面の複雑さにさらに輪をかける、沢山の穴。なんと重々しい。思わず階段を「踏みしめて」上りたくなりませんか?


うねる曲面階段を上って、目に飛び込むのは、これまた強烈な色彩の壁。これはレーモンド自身によるデザインの絵。「オシャレ」「コギレイ」そんな形容詞はここには無縁です。





そして上がりきった、このロビーをご覧ください。




壁面、天井の重々しさをずっと見ながら上がってきて、しかしここで目に飛び込んでくるのはぐっと明るくなった床と、そして左側の全面ガラス張りの窓。そして大空間の心地よさ。天井の高さが1階と全然違います。


建物の中を歩いていて、扉一つ開けていないのに、身体がふっと軽くなる。この感覚は驚きに値します。


そして、窓から外を眺めると、高崎城址の緑の公園。この窓は北側を向いているので、光の明るさを取り込みながら、まぶしくなく、暑くなく、そして景色がきれい。北向きの窓など、住宅では「タブー」、それが、こんなに美しくなる。


1階にはレーモンドの簡単な展示があります。ゲストブックに「猛烈に感動しています!」と学生の書き込みがありました。本当にそう思います。


さて、前の写真に戻って、2階の天井、ハの字の巨大部材が目立ちますよね。それを踏まえて、内観をご覧ください(この写真はパンフレットから読みました)。




実は、中の天井も、全く同じハの字の巨大部材(ちょっと分かりづらいのですが…)。内部の意匠が、そのままロビーにつながる、ホールの延長がロビー、という感覚でしょう。その「つながる」感覚は、こんなところにも見られます。次の写真です。





これは、客席と舞台のちょうど継ぎ目。客席の高さが、そのまま舞台の高さになって、床がつながっています。この席はもちろん、前の内観写真に戻ってもらっても、うんと舞台と客席の間の距離が近いのに気づくはず。建築家のこだわりを感じました。


音響を超えて


ところで、僕はこのホールでは演奏を聞いていないので、音響がいいかどうかは分かりません。ただ、何となくですが、「良さそうではないな」と正直思いました。


だけど、それが何だというのだ。このホールは、シンフォニー・ホールのみならず、バレエ劇場として、一般劇の舞台として、また伝統的な歌舞伎劇場にもなり、ワイド・スクリーンを用いた映画館ともなり得るものとして設計されたようです。ホールといえど、音響と同じくらい大事なこと、無視できないことはたくさんあります。


僕はたとえクラシック専用音楽ホールであっても、音響は一要素にしか過ぎないと思っています。演奏形態によって、曲によって、音響の合う合わないは振り回されてしまう、そんなことだけしか見ないでホールの感想を閉じてしまうのは本当にもったいないと思います。


1階から2階に上がったときの体重の変化。窓から差し込む柔らかな光の「解決」。全体を包む、クラシカルな時代性。ホールから、天井を見ながらロビーに出れば、楽章をまたいで同じモチーフが繰り返されるのを感じたかのような、心地よさ。ホール自体にだって、僕ら一歩一歩の拍子に従って体験する「音楽」があります。


レーモンドの「公共曲」


そして、ホールの歴史を紐解くと、さらに見えてくることがあります。

1960年代。日本中が夢を見ていた頃です。

このホールは、建設費の半分が市の予算、そして足りない分は市民の寄付金によって建てられたのだとか。それだけの費用を投じた敷地は、高崎城址という市民にとって大切な歴史的な地。今では考えられないような、文化への憧れがそこにあります。


だからこそ、レーモンドの設計は経済性にこだわっている。
城址の環境や景観に配慮されている。
そして、市民に愛されている。


大建築家だけの手による作品ではない。市民の手による傑作でもあるのです。


デザインが時代遅れだって、そこに時代の美しさを見つけられる。
音楽の催し物がなくたって、そこに音楽を見つけられる。


ただただ、感銘を受けました。そして受付の人の親切なこと。これだって、大事な「建築」の一要素。


建築は、デザインも大事、用途や機能、性能も大事、だけどさらに政治や経済、歴史との絡みを考えてみるのも実に面白いのです。専門家にならない人こそ、見ようと思えば、知ろうと思えば、いろんな楽しみを見つけられるんじゃないかな。


語彙は表現するためだけのものじゃない。
感じるための語彙がもっともっと欲しいと思いました。



余韻に浸って、最後のおまけ


出口を出たら、こんなものがありました。




ただの電話ボックスでした( ̄〇 ̄;)。


明らかに後付け。アホかと思いました。


と、オチがついたところで今日はおしまい。
楽しんでいただけたら幸いです。読んでくださった方、ありがとうございました。
【2007/05/15 03:32】 建築・美術 | トラックバック(1) | コメント(4) | page top↑
ニッコウもうケッコウ
1泊2日で栃木と群馬を回ってきました。言っておきますが、観光じゃありません、研究のためです。いえ、正確に言うと研究の合間を縫って観光もしてきました。てか、正直に言うと、研究を口実に観光してきました。はい。


行くと決めたのが、月曜の午後。その日は午前7時帰宅&就寝で、午後2時起床。終わってる生活ですが、一念発起、新宿で観光ガイドを買って翌日午前6時に電車に乗りました。ムチャクチャすぎです。


真っ直ぐ日光に向かい、東照宮を見て、中禅寺湖に向かう。観光の黄金ルートですが、これが大誤算。バスに乗って、いろは坂(48個の急カーブ。日光名物です)に揺られ、隣の恰幅のいい外国人観光客の汗ばんだ腕に身体を圧迫され…。うぐっ。


乗り物酔いに耐えかねてバスを途中下車し、1時間半かけて駅まで休みながら歩きました。もうバスはコリゴリ、てか、せめて旅行前日オールはやめようと思った次第です。



君の瞳に酔ってるぜ


いや、ホントに酔いやすいのです。小学生時代はエレベーターで酔ってましたので、9階くらいなら意地でも階段。バスもほとんど乗れなかったので、塾帰りのバス区間、4kmを毎週歩いてました。家族旅行は惨憺たるもの、みんなが美しい風景に見とれてる中、美しい風景に戻して帰ってくる感じです。


富士急ハイランドのサーフコースターでは、高所恐怖と乗り物酔いのダブルパンチで、降りて2時間、吐いて休み、吐いて休みを繰り返しました。(このトラウマを克服すべく、大学4年次に柏葉人とディズニーに行きましたが・・・。夢の国はたちまちにして、恐怖と吐き気の国になりました。)


中学、高校と年齢が上がるにつれて酔いにくくなったのは事実です。しかし、友達と公園で待ち合わせして、暇つぶしでもするかと思ったら、ブランコで酔いました。


体育のマット運動も生き地獄です。しょっちゅう体育着で見学してました。

なぜ、「体育着で」見学か。

準備運動の前転3回&後転3回で酔ってしまうからです( ̄〇 ̄;)。


Wikipediaの「乗り物酔い」を見てみると、
15歳以降は年齢を重ねるごとに次第に発症しにくくなり、20~30歳代の人は特に発症しにくい。
などと書いてありますけどね、絶対ウソです


これからの旅行計画は、慎重にいきたいと心から思いました。ええ、新婚旅行の最初の夜に乗り物酔いでダウンして、僕は腹を抱えて機内食を吐き、奥さんは頭を抱えて毒を吐く、そんな展開がリアルに想像できます。ぜっっったい、ヤダ。


夜の街、二人の夜


そんなこんなで、宇都宮(宿を予約)に戻ってきたときにはもうすっかり夜。てか、宇都宮って県庁所在地なだけに都会だと思ってましたが、店が6時とか7時にバタンバタンと閉まっていきます。

東武デパートにはデカデカと広告。曰く、
宇都宮店は毎日夜七時半まで延長営業

いやいや、七時半でそんなに威張らないでよ( ̄〇 ̄;)。

さて、夕食です。宇都宮と言ったら、皆さん何を食べますか?そうです、ギョウザに決まっています。ということでギョウザ屋に入りました。

メニューにはこんなことが書いてあります。

気持ち良い朝。

雲が餃子に見えた。

星のきれいな夜。空を見上げたら、

三日月が餃子に見えた。


・・・病院行ったほうがいいレベルだと思いました
( ̄〇 ̄;)。



で、全然関係ないんですけど、ギョウザを食べてると向こうからドイツ語が聞こえてきます。まさか、と思いましたが、2年前に大学の飲み会で会ったドイツ人女性。思い切って話しかけました。10人ちょいの小さな食堂で、舞台を東京から宇都宮に移してのビックリ再会。マジで信じられませんでした。てか、2年前の1度の飲み会で顔を覚えてる自分がすごい。


ドイツ人の彼氏と一緒でした。とてもいい人。ドイツ人はカップルでいても初対面でも構えることなく第三者と自然に話が出来るので、とても感じがいいです。僕に椅子を勧めてくれたのも彼氏の方。日本人は見習いたいところです。


1時間ほど話して席を立ちました。彼氏のひざに置いてあった彼女の手が、ひざをさすりながら太ももまで来たので、オイトマすることにしました。日本人は断固見習ってほしくありません( ̄〇 ̄;)。


そんなこんなの栃木旅行でした。研究が口実の観光は、乗り物に潰れてドイツ語を話して帰る意味不明な展開に。


などと書いてたら、太もも以外に何を見たか書いてませんでしたね。それはまたいつか。
【2007/05/10 23:49】 日常 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
家庭を教育、家庭の教育
内定から2週間。修士論文に向かって爆進中です。

「爆進」なんて言うとタワゴトの極地な気がしますが、内定をもらったその日にテーマを決め、以降手当たりしだい本を当たっています。食事と睡眠とmixi以外は勉強。GWで遊びといったら妹喫茶に行ったぐらいです。まぁなんて真面目な。

そんな真面目な僕に、先日かてきょバイト紹介の電話がかかってきました。
家庭教師センターの人(以下、S)「あの~、ぜひToku先生にお願いしたいと思いまして…。中学受験の小6の女の子なんですけど…」

ええ、去年までバイト三昧だったので、最近ちょっと教え足りない気分だったところです。

僕「なるほど、塾へは行ってるんですか?」
S「はい、○○(←塾)と、それから△△という個別指導の塾に行ってるようですね。」
僕「分かりました、そうしましたらフォロー中心になりそうですねぇ。ちなみに志望校はどちらですか?」
S「あ、はい、桜蔭と聞いております


ぎょぎょぎょ( ̄〇 ̄;)!

出ました。「女開成」こと、桜蔭中学。

桜蔭を知らないフトドキ者のために説明しておくと、桜蔭中学とは天才少女が集う、偏差値日本一の中高一貫女子校です。東大合格者でも男子トップクラスに引けをとらず、2006年の合格者数は68人(全国7位。女子校1位)。よく女子学院、雙葉と並んで「御三家」などと言われたりもしますが、2番手につけるはずの女子学院が28人ですので、もはや完全な一人勝ち状態。

S「指導をお願いするのは算数ですので…」

まぁ算数なら桜蔭と言えど僕でも解けます。たぶんだけど。

僕「了解しました、で、その子の偏差値はどのくらいなんですか?」
S「それが・・・手元の資料で、35と・・・」
僕「さ、さんじゅうご??( ̄〇 ̄;)


いやいやいやいや、ちょっと待て。

家庭教師・塾講師を長々とやってきて、僕は今まで20人以上のおかーさまと話してきましたけどね。高望みのおかーさまは別段珍しくも何ともないですけどね。いくら何でも、残り1年で偏差値35の子が偏差値70の学校に受かるわけがない。こんな相談初めてです。死亡校決定。

別に偏差値35の子はいいと思いますよ。それだってきちんと会話が出来る子、家事が出来る子、礼儀正しい子、勉強しようとする子、いろいろ見てきました。それは否定できません。

でもね。その子を桜蔭に入れようとする親は、はっきり言ってアホだと思います。


いや、たぶん高望みじゃなくて「知らない」んでしょうね。この子を指導することになったら、有益な情報とノウハウを与えてそれなりのところに受かってもらうことは十分に出来るとは思いましたが。

丁重にお断りしました。他にやりたいことがあるから。


示された時給は3500円。夕方にちょっと寄って3時間教えれば、1万超えます。偏差値35の小学生を教えるのとしては破格もいいところ。それを断れた自分の近況に、ちょっと充実感を感じています。(いや、やっぱもったいなかったかな・・・。)



高望みはまだ夢があってよろしい


ついでに、今までに話したおかーさまで、これとまったく逆タイプのぶっ飛び相談をされた経験があります。これです。

おかーさま「うちの子って、器量がいいから、偏差値は別になくってもいいと思うの♪」


げ、現実的すぎる…( ̄〇 ̄;)。


ええ、大変いいとこ突いてらっしゃいます。カネも学歴も、そのための血の滲むような人間の努力も、神から与えられた美貌の前には地にひれ伏すのみですからね。



語尾に♪マークをつけちゃうくらいのおかーさまのノリ。
世の中を垣間見て複雑な気分になった、東大男性の若き日の思い出でした。
【2007/05/08 00:30】 日常 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
人形の夢と目覚め
「おまえ、理科、ちゃんと勉強してる?」

これ、小学校のとき流行りませんでしたか?

「してるよ?」と答えると、「うわー、お前リカちゃんと勉強してるのぉぉ~~~??」とか言われる、アレです。



・・・いきなり何の話だよ、と突っ込まれそうですが、今日は、あの娘の誕生日です。

そうです、リカちゃん人形のリカちゃん、こと、
「香山リカ」(←フルネーム)の誕生日、
それが5月3日なのです!

以下、新聞から。
横浜人形の家(横浜市中区山下町、TEL 045-671-9361)は4月19日より、「リカちゃん 夢とあこがれの40年展」を開催する。会場は、同館2階多目的室と3階企画展示室。

 同展はタカラトミーの着せ替え人形「リカちゃん」が2007年に40周年を迎えることを記念した特別企画で、リカちゃん約1,000体を集めて展示する。リカちゃんの累計販売体数は約5,300万体に達している。

 内容は、誕生から40年間のファッションやハウスなどを当時の世相と併せて紹介するほか、5月3日のリカちゃんの誕生日を祝い40体のリカちゃんを飾ったバースデーケーキ型の展示もある。そのほか、1億円の「ファンシーダイヤモンドリカちゃん」や「ANA'sリカちゃん」などのスペシャル企画リカちゃんや、歴代のリカちゃん500体とリカちゃんへの「思い出のお便り」を併せて展示する。
(― ヨコハマ経済新聞・詳しくはこちら。 2007-4-17)


「横浜人形の家」は山下公園の端っこの方、中華街のすぐ近くにあります。内定をもらう数日前に行きました。男1人で。しかし、入ったら観光客はほとんどいず、母親&小さな娘ばっかり。カップルさえいない。浮きまくりました。


それはともかく、誕生日の話です。何でも、リカちゃんが発売された当初、質問電話が相次ぎ、その中でもっとも多かった質問が「誕生日はいつ?」というもの。その時点ではまだ誕生日は決めていなかったそうですが、連休初日で子供たちが集まって祝いやすいように、ということで5月3日になったそうです。


この記事を読んだアナタはGWが一味違って…

・・見えませんかやっぱり↓↓


理科ちゃんと勉強


それはともかく、見ごたえ十分な展示。リカちゃんは企画展なので、常設展で鉄人28号だの鉄腕アトムだのその他海外の歴史的人形を見た後、ピンクの世界に突入します。

  • リカちゃん人形の作り方がビデオで紹介されていたり、
  • リカちゃんの家族設定がやたら詳しく紹介されていたり、
  • ファッションの工夫や特色に「年代」を見たり、
  • リカちゃん数百人の大行列はただただ圧巻だし、
  • 外国の人形と比較したりもできる。

小さい女の子向け、という色眼鏡で見なければ、かなり面白く工夫に富んだ展示だと思います。


中には、女子大のファッション系の学科の学生が、リカちゃん人形のファッションをデザインしている展示もありました。ゴシック・ロリータ系リカちゃん、だの、パンク系リカちゃん、だの。こんなところにも「時代」は、ある。


とある大学の先生(←オッサン)が、リカちゃん人形の歴史を研究してるらしく、テレビでコマゴマと解説していました。娘の手を引く母親が、そっと一言。
母親「ユリ、大学いったらね、こんなことも勉強できるんだよ~~?」

お母さん、その教育は何かが違う気がします( ̄〇 ̄;)。


リカちゃん電話


そして、なんとなんと、リカちゃんの声が聞けるテレフォンサービスがあります。知ったからには、もちろん僕がかけないわけがありません。


・・・・。


どうやらリカちゃんは、「パパの生まれた街、フランスのパリっていうところ♪」にいる模様。
「明日はどこに行こっかな☆って計画を立てるのが、毎日の日課になっちゃった☆☆」

スネ夫顔負けの自慢話を一方的に聞かせてくれます



ちなみにリカちゃんの本名は「香山リカ」だと書きましたが、数年前から岡山理科大学がタカラトミーと契約を交わし、リカちゃんをイメージキャラクターにしたそうです。キャッチフレーズは、「リカ、大学に行きます」

いったいなぜか???


「お かやまりか だいがく」だからだそうです。( ̄〇 ̄;)



残念ながら真実です。

・・・・この親父ギャグ並に、大学の経営も苦し紛れなんでしょうね。


哀愁の待合室


入場料は500円。はっきり言って安いです。満腹になりました。


帰りにふと展示場の待合室を覗いてみると、そこではお父さんたちが退屈そ~~うにケータイをいじっている姿。そんなお父さんたちに、僕は声を大にして言いたい。


男の人だって、ちゃんと見れば意外と楽しいもんですよ!


・・・って、僕だけ・・?

GWがヒマな人、お近くにお住まいの方、「男女問わず」ぜひどうぞ!
【2007/05/03 00:24】 日常 | トラックバック(1) | コメント(2) | page top↑
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