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はねられて、とんだ帰国(ベトナム旅行記8)
出国数時間前。最後の最後まで、油断は許されませんでした。

あっという間でした。夕暮れで視界も悪く、道路はラッシュアワー。巨大な横断歩道を歩いていて、何か叫び声が聴こえたと思ったら天地がひっくり返ってました。バイクにはねられたんです


ハノイでバイクとぶつかったときは、右手で身体をガードして「痛かった」ですみましたが、今回はそうはいきませんでした。気づいたら10車線の巨大道路の真ん中に自分がひっくり返っている。警官2人が駆けつけて起こしてくれました。
「歩けるか?」
「痛みはある?」

矢継ぎ早に聞かれましたが、痛みよりも精神的にショックで返答はしどろもどろ。


腰をひどく打ったので、ぶつかったバイクの人に国際病院に連れて行ってもらうようお願いしました。送った分チップをよこせって言われるかな、などと考えていましたが、さすがにそれはなく、ただ何度も謝られました。異国だと普通のことでも優しく思えます、などと言うとキレイですが、むしろ僕の性格が歪んだ気がします


ホーチミンの国際病院。
  • 入るといきなり日本人用受付があり、
  • 日本人スタッフが応対してくれ、
  • 日本人医師が診察してくれる。
なんて便利なところでしょう。診察を受け、レントゲンを撮り、帰国してから再検査をと言われ、痛み止めを飲んで帰国しました。そして今日、日本の病院で検査して骨は大丈夫だと言われて一安心。来週もう一回医者に行って、たぶんおしまいです。



更新遅れてごめんなさい。今日ようやく書けます。

「無事」帰国しました(笑。


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たかが1ヶ月ですけど、変わって見えることもあります。日本に帰ったらみんな無愛想なんだろうな、と思ってたら入国審査で「おはようございます」って声をかけられて無性に嬉しくなったりして、しんみり気分で静かで快適な電車に揺られて帰ってきました。


不良ヅラしてボタン外して、ドアに寄りかかってずっと携帯いじってる制服の女子高生。書類カバンからスポーツ新聞のぞかせて、イヤホンつけて腕組みしたまま座席で眠ってるオジサン。


なんか懐かしいよ( ̄▽ ̄)!!!


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最後に写真ネタを一つ。飛行機を降りて、成田空港の本館へ向かうときです。感動で思わず撮っちゃいました。(クリックすると拡大します)







この距離でシャトルバスを出すこの国ってどうよ?!( ̄〇 ̄;)
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【2007/06/28 14:17】 旅行記 | トラックバック(0) | コメント(9) | page top↑
仕事と生活のミックスシェーキ(ベトナム旅行記7)
居心地のいい宿ですが、僕が来る前日に宿の10m先で人が殺されたらしいです。そして昨日も、最寄のシェーキ屋さん一家の麻薬取引で有罪判決が出たとか。いいところに住んでます。


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ベトナム観光で一番面白いのは美術館でも博物館でもなく、「市場」です。ドンキもびっくりにご当地商品が並べられ、客引きは平然と腕を掴んで店に引き込み、値切って買ったり怒らせたり。庶民の生活臭さがプンプンしているのですが、悪臭のプンプンの半端じゃありません。


35度の熱気で生肉生魚がゴロゴロしてるので、「生鮮」市場の定義を疑います。さらに、オバちゃんがゴミ箱をひっくり返して生ゴミを路上に撒き散らしている、素晴らしき衛生管理


果物を買いました。お化けみたいな果物の、おいしいことおいしいこと!で、食べ方をオバちゃんに教えてもらい、皮をむいたらどうするのか。その場でポイでした。

あんた、自分の売り場だろ( ̄〇 ̄;)。



テキトーさ加減が市場中にあふれ、店をのぞけばオバちゃんが床にひっくり返って寝ています。朝6時開店とかですから無理もありませんが、起こすわけにもいかずその店は素通り。営業になってないぞ。


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東南アジアの人たちは本当によく寝ます。タクシーを待たせたら普通に寝て待ってますし、ガラガラのテーマパーク内の屋台では、あまりの客の少なさに耐えかねたのか、オバちゃんは屋台の品物を地面に下ろして自分が屋台の上に乗って寝てました。


・・・あなたが売り物ですか?( ̄〇 ̄;)


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そんなベトナムで、「デパート」に行ってみました。見るからにゴージャスな建物で、資生堂の広告がひしめいています。入ってみるとまさにビックリ。1階は壁から机から全てが光り輝き、白いタイルの上で若い販売員さんたちがピッタリ黒スーツで化粧品やら宝石やらの販売。伊勢丹やら京王やらとほとんど変わりません。


この「デパート」はオーナーが日系人らしいです。ナルホド。


しかし、店員はベトナム人なのです。隠し切れないベトナム根性。光り輝く化粧品売り場でバッチリ決めてる女性店員も、お客さんが来ないもんだから腕組みをして壁に寄りかかって、「タイクツ」を顔からだ全体で表現しているダラケっぷり。


日本だったら首飛ぶよ。



とある高級紳士服売り場では、店内に店員が1人もいない。ハロー?と呼びかけたら奥から慌てて店員が出てきました。


セブンイレブンじゃないんだから。



そして、エレベーター横の奥まった休憩スペース。お客さん用の椅子に、見事に2人でひっくり返って寝ているオバちゃんたち。


よく見たら、店員でした( ̄〇 ̄;)。



そうだよね、こんなところで働いてたら疲れちゃうよね。なんか同情しました。日本の販売員ってすげぇや


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でも、そういういい加減さが気持ちいいところでもあるのです。フルーツシェーキのお店に行ったら、店員の女の子たちがお喋りしながら果物(てか売り物?)を頬張ってて、モグモグしながら注文を受けてくれる。「おしゃべり&つまみ食い」は、もちろん狙うべきスタイルではないですが、「パックされた果物&営業スマイル」とどっちがおいしそうに見えるのかは、難しいところです。


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ぼったくられたこともありました。値切りまくって無理やり商談を成立させて「センキュー!」と握手を求めたら、出した手を引っ叩かれたこともありました。「気に入ったものがない」と言ったら、「ちょっと待ってて」と言って、何かと思えば他の店から品物を持ってきて売ろうとしてきて面食らったりもしました。



良くも悪くも、そこらじゅうから「にんげん」のにおいがしたベトナムの旅行ももうおしまい。

明日、日本に帰ります。
【2007/06/25 17:37】 旅行記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
テキトー文化のテキトーツアー(ベトナム旅行記6)
ベトナムに「帰って」きました!!

ベトナムの北部、中部から始まり、カンボジア、タイを経て、最後にベトナム南部です。ベトナム最大の都市、ホーチミン市。着いたとたん、2週間も離れてないのに懐かしさが蘇りました。


このどうしようもない信号無視。数々のバイク。果てしなくフレンドリーな人々。ホテルもこれぞベトナムです。静かな個室でホットシャワーにセキュリティーボックス、エアコンに扇風機、衛星放送つきテレビ(NHKが入る!)、そして意味なくダブルベッド。まさに至れり尽くせりです。おばちゃんもメチャメチャ親切で、一泊わずか8ドル(1000円)、1ヶ月泊まっても3万円なんですけど


今回の旅行の最後の都市、多少は買い物しないとです。と、そんなところで、いきなりベトナムの洗礼「ボッタクリ」をくらいました。


自分の騙され手口を書く醜態晒しはいい加減ホドホドにしておきますが、今回の手口は「低級品を見せる」というもの。1等品、2等品、3等品と立て続けに見せられ、確かに質がぜんぜん違う。値段も違う。こうなると1等品を買うのに2等品以下には値切れなくなる、という心理になりますが、よく考えたらその2等品の値段自体がボッタクリなんですよね。さらに、「これをこれだけ買ったらおまけにこれを」みたいに計算をややこしくされ、自称通訳のタクシードライバーに割って入られ、もうメチャメチャ。頑張って値切ったはずなのに、おばちゃんの喜びっぷりから全てを悟りました。ちくしょう。


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それにしても、この国の文化のテキトーなことと言ったら。なんていい加減なんだ、こいつら。そう思うことベリーオッフンです。


北部にて、首都ハノイからバスで3時間ほどの世界遺産・ハロン湾へのベトナム人主催ツアーに申し込んだときのこと。集合は7時半。頑張って起きましたが、予想通り、定刻になってもバスもガイドも現れません。バスが順々に申込者のホテルを回って客を拾っていく形式なのですが、30分待たされた人とかもざらにいました。


バスが到着、ガイドがみんなのチケットを買って船へ案内してくれます。最初は人数確認していたかと思えば、船に乗って以来どこで降りても一度も人数確認しない適当さ。


さらに、ガイドのくせに何もガイドしない。洞窟の見学に至っては、ガイドが船で待ってました。おいおいおい。


+++++++++++++++


昼休みには、子連れのベトナム人の女性と歓談。しかし、このオバちゃん、明らかに他の人とは違うオーラを放っていました。


まず、英語が半端なく流暢。ベトナム人は、商売のために英語を覚えますが、この英語はナマリが相当キツイ。聞き取るのも一苦労ですが、彼女の英語は間違いなく「習った英語」。僕がどこに行くかを聞いたら、次々と都市の歴史の話が出てくる、その教養。


そして、南部からわざわざ北端に旅行に来ていた、とのこと。旅行は金持ちの証です。「旦那が私が遊ぶお金を稼いでくれてるから」なんて笑っていました。
「娘にそろそろ英語を習わせようかと思ってるの」
「うちの息子も大きくなったら日本に留学させたいわ、絶対将来役に立つと思う」

と、どっかの教育ママオーラ


男の子に、「How old are you??」と聞いてみました。

男の子はポカンとしている。すかさずオバちゃん、横槍を入れる。

「あのね、たぶん質問は分かってるのよ、でもすごくシャイなの。」


おい( ̄〇 ̄;)。

さらに、息子は12歳だったそうです。受け答えくらいしろ。そしてやらせろ。

ダメ親子モード全開です。今でこそ常識はずれですが、どっかの国にのかつての光景にもありそうです。


発展途上の国での格差、そしてエリートの質。日本の20年前ってこんな感じだったのかな、なんて想像します。


++++++++++++++++


そして昼食後。屋根無しボートに乗り換えたのですが、オバちゃん曰く「準備しなくちゃいけないからちょっと待ってて」


ボートで待っていると、オバちゃん登場。
  • いつのまにか白の長袖長ズボンになり、
  • 帽子をかぶりサングラスをかけ、
  • 手袋をして耳まで隠れるマスク
まさに完全防備


思わず「きれいですね」と声をかけたら、ひっぱたかれました(笑。こんなオバちゃんが懐かしい今日この頃。アジアは一つです。


++++++++++++++++


テキトー文化に話を戻して。

ガイドのテキトーさはどんどんエスカレートし、船で待ってた挙句帰りのバスで一人でマイクを握ってカラオケまで始めました(幸い、すぐやめてくれました)。


そして、街へと帰って。契約時に「それぞれのホテルまでお送りします」と書面に書いてあったにも関わらず、こう。


ガイド「この帰りのバス、他の旅行会社のバスと一緒になって別のものになってしまったんです。ここからは分かると思うので、皆さん降りて各自でお帰りください

・・・出たよ、こんなこったろうと思った。


ベトナム人はもちろん、そして他のアジア人もやれやれ、とバスを降りる。そんな中、ツアー参加のヨーロッパ人たちは一斉にブチ切れ。「話しが違うよ!」と、ガイドに詰め寄りました。


・・・どーせ無駄だって・・・。


怒り心頭のヨーロッパ人を尻目に、何もかもアイマイに僕らアジア人は立ち去りました。



アジアは一つ。東南アジアは、僕たちとそう遠くない国だと、あちこちで実感する日々です。
【2007/06/24 14:02】 旅行記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
語学のペンと根性の剣(カンボジア旅行記3)
カンボジアのシェムリアップからタイのバンコク、この間ほとんど日本語ばかりしゃべっています。


カンボジアに話を戻しますが、ここで驚いたのはかなりの高レベルで日本語を話しかけてくる人がいること。「コンニチハ」「アリガトー」だけではなく、主語述語を整えて日本語でコミュニケーションを取れるツワモノが1人や2人ではありません。


それから物売りの勢いがすごい。遺跡に行って、見学を終えて道路に戻ってきた瞬間に、遠すぎて豆粒のように小さいおねーさんが、「オニーサーン、オミズー!!」と叫んでくる(ミネラルウォーターの販売)。どうやって日本人だと認識しているんだか分かりませんが、1人が叫んだ途端に4方向から「オニーサーン!」とコールがかかる。さらに、小学校に上がれるか上がれないかの足元もオボツカナイ女の子とかが絡んでくる。曰く、
「ニーサン ニーサン コレ サンコデ 1ドル、ヤスイヨ ニーサン」
これには正直参りました( ̄〇 ̄;)。


ちなみに、物売りはワラワラと寄ってきたときが逆にチャンスです。数人から同時にメニューを見せられ、食べ物が2ドル・飲み物が1ドルが相場と見て取ったら、「麺と飲み物をセットで2ドルで出してくれる人!」と声をかけ、「ハイ!」と最初に声を上げたお店と一発決着。お互い気持ちいい。


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シェムリアップではホテルのオーナーが「ワタシ ニホンゴ デキマス」だったから全て日本語、と言いたいところですが、実は「エイゴ ダメ ネ」が真の理由でした。日常会話もままならない「ニホンゴ」で、不便だったばかりか、「ワタシ アナタヲ イチニチ バイクデ オクリマス」と面倒な展開に。


初日はお願いしたのですが、コースの変更さえリスニングと語彙力の問題で理解できない。「アナタノコト イツモ カンガエマス」とディナーを勝手に予約され(しかも不味かった)、そしてついに本性を出す。
「ココ オオキナ イセキガ アリマス。ワタシ ウンテン。50ドルデ ドウデスカ

・・・出たよ( ̄〇 ̄;)。


目当ての遺跡までは距離15キロ。50ドル(6000円)とは、日本のタクシーもビックリな金額です。
僕「冗談じゃない。そんなに払うぐらいなら僕はホテルにいたほうがマシです」
オーナー「ジャア 30ドルデ ドウデスカ」(いきなりの4割引き。怪しすぎだろ
僕「それなら25ドルで」
オーナー「・・・ワタシ ドウヤッテ セイカツ スレバ イイデスカ??

ここでお涙作戦かよ( ̄〇 ̄;)。さっき20ドル割り引いたヤツが、5ドル値切られて生活に困るか、アホ。


普通のタクシーならバイバイですが、自分が泊まっているホテルのオーナーなので、部屋に何をされるか分かりません。丁重に断り、別の日本人と割り勘で郊外を1日中回って1人13ドルで決着しました。



英語を覚える必要さえないほど、日本語ができるとカモ標的が増えるよう。そして、結構みんな50ドル払ってるんでしょうね。そして、ドイツ語の方がまだマシなどとうそぶく自分は、このオーナーと同レベルだと反省しました。英語デキネェ。。。


+++++++++++


ちなみに、ホテルのトラブルで有名な手口としては、部屋に麻薬を仕掛けられ、警察が踏み込んできて逮捕され、「拘留か罰金だ」と強制的にお金を巻き上げる(警察とホテル係員がグル)という、対策の打ちようのないヒドイものがあります。このホテルでは唯一の金づる・日本人を口コミで失うわけにはいかないので安心でしょうが。


その警察とも、盗まれたカメラを巡って戦ってきました。現地警備のプライドなのか体面なのか、「my camera was taken away」という僕の報告書の文面に対して、「お前は盗まれた手を見たわけじゃないんだから lostと書け」と来る。場所も時間もハッキリ分かってるんだから lostじゃないだろ」と反論するも、スッタモンダの末英語でやり込められ、自分の文面は消さずに単語「lost」をさりげなく関係代名詞の副文に組み込むことで妥結。ったく、もう。
【2007/06/22 21:41】 旅行記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
甘すぎライフと辛すぎライフ(タイ旅行記2)
ないものがない、バンコク。僕のホテルはセブンイレブンの隣でめちゃめちゃ便利です。清潔な店内に、きれいにパックされたパンやお菓子が並び(ポッキーの種類がすごい)、冷蔵庫にキンキンに冷えた飲み物が並んでいます。そして価格はもちろん現地価格。ベトナム・カンボジアではどこも牛乳を室温に放置してあり、「賞味期限は半年だから大丈夫」と、余計に疑いたくなる安心させ方をしてくれましたが、タイでは冷蔵庫で冷やされたMEIJIやミロが手軽に飲めます。


でも飲んだ次の日お腹が悪くなったのはなぜでしょうか。


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アジアの甘味は半端じゃありません。こいつらの甘味根性ときたら、もう何が何でも砂糖を入れまくるのです。ただでさえ甘いフルーツシェーキに砂糖をバカバカ入れ、ファーストフードのアイスティーも紅茶の味がしなくなるほどデフォルトでシロップが入ってました。なのにみんながスリムなのは、暑さのせいか、民族の血か。そういえば街を歩く野良猫・野良犬も、みんな驚異的にスリムです。はじめは病気かと思ったのですが、どうやら違うよう。


ベトナムでは「グリーンティー」なるものを見つけたので思わず飲んでみたら、やっぱり甘い。シロップが入っていたりハチミツが入っていたりリンゴ果汁が入っていたりして、肝心の「ティー」の香りはほとんどしません。


あまりにどれも甘くてゲンナリだったのですが、ついに、ついに、タイのコンビニにで見慣れた製品を発見!しっかり「KIRIN」の生茶がならんでいます。しかも、ひらがなで「なまちゃ」と振ってある。僕は喜びに打ち震え、よっしゃ、サッパリ!と思ったら。


むちゃむちゃ甘かったです( ̄〇 ̄;)。


こんなの生茶じゃない。さらにひどいのがNESCAFEの缶コーヒー


1口飲んだらあまりの甘さに思わず顔をしかめ、2口目でいやになり、3口目でそのまま捨てる決心をしました。


あれはコーヒーではない。コーヒーのにおい入りシロップです。コーヒーで割って飲みたくなりました。


それでも暑さのせいで甘いものはどうしても欲しくなります。毎日大量の汗をかき、それを補うために毎日最低でもジュース1リットルは空になります。さらに食事のたびに缶ジュースを空け、安いもんだからついついデザートまで頼み、明らかに糖分過多な毎日。出発前の身体測定で目を疑いたくなるような値を出した僕の体重は、旅から戻ってどうなっているか。そんなのも1つの楽しみです。


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全然関係ないですけど。


カンボジアで遺跡を巡っていたときに、民俗音楽の演奏が聞こえました。一歩近づいたときにギョッとしたのは、彼らに足がなかったこと。義足でした。地雷でダメージを負った人たちで、小学校の子供や同じような境遇の人たちのために、演奏活動を続けているという英語の説明パンフがありました。そして寄付金を少し箱に入れた、そのとき。演奏していた彼らが、演奏しながら黙って僕に頭を下げた。これが一番ギョッとしました。


大都会、バンコク。コンビニとはぜんぜん違う、いかにもアジアンな市民のための路上市場に行きました。露店に焼きそばやソーセージが並び、果物や生肉、貝類の量り売りがある。イモ洗い状態の地元民の買い物の光景でした。ベトナムの市場よりはるかに整然としているとはいえ、悪臭はひどく、また足元は水びたしです。


そこで人の流れが左右に2分されているところがありました。近づいてみると、ボロボロの服と体で濡れた地面に這いつくばって買い物をしている男がいました。見た瞬間、背筋が凍りました。頭がおかしいのではない。両足がないのです。だから這う。



車椅子がとんでもない高級品だといまさら気づきました。コムスンよ、しっかりしてくれ。
【2007/06/20 20:07】 旅行記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
百面相の巨大都市(タイ旅行記1)
タイの首都・バンコクにやってきました。旅人に有名な「カオサン通り」に泊まっています。いや、この国に来てビックリしたの何のって。


まず空港。人ガラガラのカンボジア空港とケタが違う。絵の具のパレットのような、はさすがに言い過ぎですが、いろんな色の肌の人がそこらじゅう交錯している。大建築の大空間に圧倒され、エアポートバスという便利なシステムで、宿の集まる「カオサン通り」へ、高架の高速道路を走り抜けて大都会を一直線


着いた「カオサン通り」はこれまた人種のミックスジュース。そして、大都会を通ったはずが汚い露天が所狭しと並び、通りに屋台がうろうろしている、これこそまさにザ・東南アジア(といってもベトナム・カンボジアよりはるかに清潔だけど)。例によって宿さえ決めていなかった僕は、その辺を歩いていた日本人に、泊まってるところに案内してもらいました。


日本人に人気の安宿で、エアコンの効いた部屋が1000円そこらだと言うので部屋を見せてもらったら、僕がいかにベトナム・カンボジアで贅沢をしてきたかを思い知らされるような宿。目も鼻も抑えて歩きたくなるビルの4階にあったのは、たしかに涼しいけど、ベッドオンリーの、ドアも窓もない部屋。廊下で冷房を効かせて、ドアがないから「エアコン付きシングルルーム」だそうだ。なんじゃそりゃ( ̄〇 ̄;)。


極貧生活に耐えられるほど神経が太くない僕は、1泊1500円のホテルに落ち着けました。「学生さん、ゼータクしてるね!」。そう言って笑った27歳日本人がいましたが、彼が泊まっている部屋はなんと1泊500円。扇風機と寝るための「台」(ベッドのこと)があればいいそうだ。いやいや、無理無理。


1500円も出せば、カンボジアとかなら相当いい暮らしができるのですが、バンコクではさすがにそうでもない。電話も洗濯もインターネットもホテルでできず、部屋を適当に散らかしておいて夜帰ってみたら、ゴミもそのまま、タオルもない。「部屋の掃除は料金に含まれてないんですか?」と聞いたら、フロント曰く、
「やってほしいんだったらそう言ってよ。言わなきゃやらないわよ」
合理的なような気もするが、トイレットペーパーくらい置いておいてくれと言いたくなるのは僕だけなのか


++++++++++++++


街を歩くとさらに驚く。恐ろしい外国人観光客(日本人もメチャメチャ多い)と汚い街があるかと思えば、美しい王宮建築や寺院建築がならび、ちょっとはずれると巨大ショッピングモールに女の子や外国人がわんさかし、駅前には高級ホテルや高層ビルが立ち並ぶ。東南アジアからアメリカまで、中世から現代まで、極貧から億万長者まで、すべてのトランプカードを手品師が切って並べたみたいな巨大都市



「4日で飽きる」と日本で言われてやって来た都市。そこでただただ恐れ入りました。
【2007/06/18 20:18】 旅行記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
太陽の裏側(カンボジア旅行記2)
シェムリアップでは散々でしたが、カンボジア旅行の最初はびっくりするほど順調でした。

最初に入ったのはカンボジアの首都プノンペン。ベトナムに比べてさらに貧しいだろうから、相当な戦争を覚悟していたはずですが、
  • 空港でタクシーを手配してくれ(ベトナムでは運転手が押し寄せてきた)
  • きちんとホテルに送り届けてくれ(ベトナムでは別のホテルに強制連行された)
  • 信号も軒並みつき、カウントダウン表示まであり(ベトナムは無法地帯)

その他、人々はやたらと礼儀正しく(手を合わせてお辞儀する)、親日家が多いのかやたらと「オゲンキデスカー」「コンニチハー」と声をかけられる。街にはあちこちに平仮名、カタカナがある。なぜか。それは日本人観光客が少なからずいることと、もう一つは政府の援助が背景にあるようで、あらゆる小学校や土木建設に日本の資金が関与しているようです(タクシードライバーが一つ一つ教えてくれました)。シェムリアップには遺跡が大量にありますが、インド、カナダ、韓国、日本、その他あらゆる国から修復や保存の資金を受けているようです。


それから、人々の顔が全然ベトナムと違う。日本人と中国人の違いなんかとは比較にならない。インド人とアフリカ人くらい違います。そして民族衣装も違う。みなさんはベトナムの国の形ってどんなのかご存知ですか?大陸でありながら意味不明に縦長で、ラオス・カンボジアとかじっていった後のスイカの皮のような形なのですが(失礼)、これにも地理的要因とか意味があるのでしょうか。


と、そんなマジメな話はともかく。


翌日の観光にはドライバーが一日付き合ってくれたおかげで、あっちへこっちへ好きなだけ動き回って、一日で首都とその周辺郊外を見尽くしました。金ピカの王宮、カンボジアのお寺を巡り、サルを見て象を見て、ポル・ポト政権の歴史の暗い影を見て、まぁこの辺りは普通の観光ルートなので、別に面白くはないんですけど。


ドライバーの友達の兵士の家でリアル射撃をやりました。マジな銃です。ずっしりと重く、耳栓をつけ、安全装置を外して引き金を引く!

ドン!!!


すんごい反動。僕の体の方がぶっ壊れるかと思いました。さらに、連射にするとすさまじい。映画なんかで見ると何でもなさそうですが、僕は翌日体中が痛くなってました。そして狙った的には全然当たってません。のび太のすごさを思い知った日。(ちなみに使った銃はこちら


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そしてもう一つ。通りがかりに、あまりにもぎょっとして、タクシードライバーにここがどこか聞いた街がありました。


日も落ちかかった夕方。ボロボロの集合住宅がありました。コンクリートのガッチリした骨組みの面影と裏腹に、誰も修理しようとせず、修復しようとしない建物。朽ち果てた灰色の巨大な箱にあるのは真っ暗な穴倉ばかりで、明かりはどこにもついていない。建築は自然の中に打ち立てられた記念碑という。でも、ここは違う。人間が建てたものが、自然の退廃の力の前にただただひれ伏した風景でした。そこにどれほどの貧しさがあるのだろう。うんと不謹慎なことを言えば、極限まできたその建物は美しくさえあったと思う。


ここがどこか。タクシードライバーの答えは、「プノンペンの売春街」でした。


砂埃が立ちこめ、その前ではボロボロの服のオジちゃんオバちゃんが屋台の椅子に座っておしゃべり。そして、その向こうにはじっと「待って」いる、死んだ目をした少女達の姿がありました。Tシャツだけが不自然なほどピカピカでした。精一杯の贅沢であり、努力なんでしょう。あまりにもぎょっとしました。


彼女らにカメラは向けられませんでした。廃墟の建物だけ撮って、僕はすぐにタクシーに乗りました。


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シェムリアップにて。世界遺産の遺跡に人がうじゃうじゃと集まる中、僕はとある手工芸の店に行きました。郊外にある、そのお店の工房を見学させてもらえるとのこと。ツアーだったはずなのに、参加したのは僕1人。


工房(兼・技術学校)で働いているのは18歳から25歳の少年少女(大部分は少女)。ここで物を作って、技術を覚え、売ったものが工房の資金になり、また新たな生徒を募る。卒業生はある者は実家で生産し、ある者は工房に残り、ある者は都市で働くようになる。僕は機織りを始めて見ました。


南にあるトンレサップ湖に行きました。舗装されていない道路に、吹けば飛ぶような小屋に、半裸で住んでいる人々。ボートでの水上市場の見学の案内を買ってくれたのは、15歳の男の子。英語がものすごく流暢でした。



工房の案内をしてくれた男の人に、最後に言われました。
「シェムリアップは世界的に有名な都市になって、たくさんの観光客が来るようになった。街はどんどん栄えていって、来るたくさんの観光客は、カンボジアって意外と都会だ、そう思って帰る。だけど現実は違う。観光客が来る都市から5キロも離れれば、うんと貧しい村がある。15キロ離れたここは、穴を掘っても井戸水さえ出ないんだ。」
【2007/06/15 20:53】 建築・美術 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
泣きっ面にアブにハチに(カンボジア旅行記1)
カンボジア、遺跡で有名なシェムリアップで、ボロボロになっています。


空港で担当にお金を払ってタクシーに取り次いでもらい、いざ目当てのホテルへ。先払いは不服ですが、システムだから仕方がありません。


そしたらこのドライバーがとんでもないやつ。目当てのホテルに向かうと思いきや、「遠いから別のホテルがいい」といって別のところに連れて行かれる。予算オーバー、ネットなし。冗談じゃない、というと、また別のホテルに強制連行。グルの構図が見え見えです。


「言ったとおりの場所につれてってくれ」と言うも、「遠いからイヤだ」とか訳の分からないことをいい、
「じゃあそのホテルに行くなら、明日の観光めぐりの案内をオレにさせろ」
「暑いから運転したくない」
「ここまで運転したんだから金は返さない」
と、言いたい放題。先払いのシステムを恨みつつ決別し、良心的な別のドライバーを拾って何とかホテルへ。


ホテルについてシャワーを浴びてたら、カンボジア名物、停電発生。シャワーのお湯が真っ暗な中冷や水に変わり、これはカナワンと、裸のまま真っ暗な部屋を手探りで懐中電灯を探し、そのわずかな明かりでパジャマを着ました。しかし一向に復旧の見込みがない。仕方なくそのまま就寝です。


ところが、停電は深夜に復旧したらしく、16度に設定したエアコンが僕の寝ている間にガンガン作動しました。おかげで、真夏のカンボジアで寒くて目が覚めるという激レア事態発生。起きたら喉はガラガラ、挙句少し熱っぽい。


それでも外にはタクシードライバーが待っています。えいやと思って世界遺産・アンコールトムへ。体調もすぐれない中で炎天下を歩き回り、カメラを置いてガイドブックを読みつつ一休み。


そしたらこれが大失態。右手に置いたカメラは目を離したものの5分で忽然と消える。すでに旅は2週間。ベトナムやカンボジアの思い出と、旅行前に買った最新カメラは瞬く間に僕の手元からディサピアーです。周りは中国人ツアー観光客ばかりだったのに、もうメンバーは全部入れ替わって消息不明。敵は観光客かよ。


警察に報告し(当然ながら届いてはいない)、カフェで気持ちを落ち着けて、それからシェムリアップのカメラ屋さんへ。出てくる可能性はほぼゼロである以上、これからのことも考えてデジカメ購入。そしたら日本より高くて性能はワンランク下ときたもんです。


もっと安くならないんですか?と聞いたら、「輸入物は安くならないんですよ」と返答。4万円超えの大出費で手に入れたデジカメは、メイド・イン・ジャパン。たしかに「輸入物」だわな、ちくしょう。


まさかまさか、カンボジアでデジカメを買うことになるなんて。そして今までの倹約生活はどこへ飛んだやらです。帰って熱を測れば38度。ガイドブックの病院情報を見たら、「国際病院は閉院中で、緊急の場合は首都プノンペンへ送られます」だと。車で6時間はかかる距離だぞ。


ホテルに帰ったらなぜか部屋のカギまでなくしてました。自分しっかりしてなさすぎ。ホテルのスタッフに謝りまくりです。ホテルから保険会社にコレクトコールでつないでもらうようにお願いしたら、普通に電話をかけただけで(英語が伝わってなかった)、ばっちり国際電話料金を請求されました。


トラブル多すぎ。薬飲んで寝ます。そして近いうちにもう一度、警察に行って保険に必要なものをそろえてもらわないと。あー、カメラ代くらいは。。。


みなさまの災難が充実しないことをお祈りします。
【2007/06/12 20:37】 旅行記 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
遺産の中部と兄さんのチュー(ベトナム旅行記5)
首都ハノイを出た僕は、ハロン湾という北部の世界遺産を見た後一気に夜行列車で13時間南下、古都フエにたどり着きました。

ついてびっくり、まさに別世界( ̄〇 ̄;)。
  • 薄暗い曇りの空は、焼け付く太陽と青空に変わり、
  • ゴミゴミしたジグザグ道は、広く車の少ない道路に変わり、
  • 蚊に苦しめられたボロホテルは、清潔でサービス満点で、しかも安価なホテルとなりました(←これは自己責任)

そして何より、建築のすごいことすごいこと!世界遺産となっている王朝時代の宮廷。迷子になるほど広大な土地にヨーロッパ風の配置計画で、中国風の建物が堂々と構えています。南国だからか、柱で建物を持ち上げるようにして風を通し、さらにそもそも高いところに建てられているので、建築全体が浮かび上がって見える。

もう、かっこよすぎ。ウィキペディアの写真でご覧下さい(ご勘弁ください)


さらに翌日はボート下りをして周辺郊外の古建築を見て回りましたが、これもまた圧巻。


そしてそのまた翌日は近くのホイアンという小さな町へ。こちらは町ごと建築の世界遺産になっている垂涎スポットで、貿易港時代の中国人街を中心に、日本人が建設したと言われる橋や、江戸の町屋そっくりの民家が多数保存されていて見学でき、車も非常に少なく見所は全て徒歩圏内という快適さ。こちらに来てからトイレに行く回数が著しく減っているのですが、これはきっと暑さで流れる汗と、建築で流れるヨダレとで水分が奪われているからに相違ありません。(脱水症状には要注意)


そうそう、古都フエで王宮を見学してきたときに、宮廷内で道に迷っていたアメリカ人男性に地図を見せて出口まで案内しました。彼は在米ベトナム人だそうで、英語は完全なネイティブ。ベトナムには「旅行」で来ているそうで、ニコンのカメラ片手に写真を取りまくっていました。


アメリカ人のフレンドリーさがどんなものだか知りませんが簡単に打ち解け、退屈しのぎ半分に僕らは一緒に宮廷内を回りました。そして僕は一人で昼食を食べに行くから、と彼に別れを告げた、そのとき


原語でお送りしましょう。
アメリカ人「・・May ask you a question?」

僕「・・・Yes?」

アメリカ人「・・・Can I kiss you?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

僕「・・・・・・・NO( ̄〇 ̄;)。

オーケー、そう一言だけ残して彼は踵を返しました。紳士で助かりました、けど、しばし呆然。


てか、仮に僕がそっちがアリだとしても、初めて会って30分でその展開はナシだと思ったあの日あのとき。



今日はサークルの先輩2人の結婚式でした。男女です。心からおめでとうございます。。(ってどういう結びだ)
【2007/06/09 23:11】 旅行記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
Sorry
I'm sorry that I didn't reply to the comments and e-mails.

I'm fine, and have already left the capital city "Ha noi", seen the great city "Hue" (it is very different from Ha noi!), the historical small town "Hoi an", and I'm in the relatively big city "Da nang". A lot of things happened that I really want to write, but I couldn't find the internet cafe where I can use Japanese, since I left Ha noi, so please wait for a new article.

9th June, I am going to Cambodia.

I wish you have also wonderful time!

Thank you.
【2007/06/07 20:52】 雑記 | トラックバック(0) | コメント(7) | page top↑
同乗するなら金よこせ!(ベトナム旅行記4)
交通量がハンパないハノイですが、車よりもむしろバイクが多いのです。マナーの悪さもこいつが元凶で、街をリアル・マリオカートにしてくれるのですが、これ、実はこの多くが2人乗りのバイクタクシーです。


街を歩いていると、やつらが声をかけてくる。

ドライバー「オートバイ、オートバイ?」

ったく、余計な日本語覚えやがって( ̄〇 ̄;)。


目的地と料金を交渉して、成立すると後ろに乗っけてもらえるのです。雰囲気的にはタクシーよりよっぽど気軽。ただし、事故とトラブルは要覚悟です。


物好きな僕は、早速乗ってみることにしました。


「英語話せますか?」とドライバーに慎重に確認を取り、ちゃんと事前に料金を設定し、後払いにする。バイクに乗ったことがない、というと、オッチャンは「肩につかまりな」と明るく声をかけてくれました。


どきどきのスタート。


それが。


いや、気持ちいいのなんのって(笑。


信号が少ないから基本止まらない。37度の暑さでも、バイクで風を切れば、炎天下の日差しの中を歩くのと雲泥の差です。ちょっと郊外まで、150円そこらで連れてってくれました。僕に配慮してくれたのか、とっても安全運転。なんていい人。


やべぇ、病みつきになりそう。


しかし、これが困ったことになります。

=============

街を歩いていたら、「ヘイ、俺覚えてない?」とバイクのお兄ちゃんが声をかけてきました。何の嫌がらせだよ、と思いつつよく見たら、2日くらい前に博物館への道を、僕の地図を見て丁寧に教えてくれた人。
ベトナム人「偶然だね、どこ行くの?あ、その寺なら知ってるよ、安くするからさ、送るよ」

提示された額はとってもリーズナブル。お願いしました。

お寺を見学して戻ってくると、外で待っててくれている
僕「待っててくれたの?」
ベトナム人「当たり前だよ、もっと話したいしね。俺たち友達だろ?」


ベトナム英語でニッコリ笑う。


か、かっこいい・・・・。(←バカ)


若くてハンサムでした。どんな人でも笑顔って不思議な力がありますけどね、美人ハンサムの笑顔の破壊力は強烈です。めっちゃいい人そうだし、前に卒論でお世話になった中国人の先輩にそっくり。あああー。


最初はおっかなびっくりで後ろに乗ってた僕も、余裕が出てくるにつれてドライバーと話せるようになってきました。一日の予定を伝えて、感想を話したり、日本のことを話したり。送ってもらい、待ってもらい、列車はチケットの買い方を教えてもらいました。


降りるたびに「料金を」と言うと、「いいからいいから」と遮られる。「見ておいで」と。

===========

最後、「じゃあホテルまでお願い」と言ってホテルの住所を渡しました。そしてバイクは出発。


ところが。


途中、路上で急ブレーキ。何かと思うと携帯電話を取り出します。しばらく大声で話し、そして、曰く。

「ここで降りてくれ」

な、な( ̄〇 ̄;)??
ベトナム人「友達がトラブルに遭った。大至急行かなくちゃいけない、道分かるよね?」
僕「分かった、で、いくら?」

この後の彼の答えで僕は目玉が飛び出るほど驚きます。
なんと、こちらの予想額(相場)の5倍以上。
僕「冗談じゃない、高すぎるよ!」
ベトナム人「高くないだろ!?分かった、まけるよ!」

そう言いつつ値段はほとんど下がっちゃいない。

「日本円でよこせよ!!」

「お前の財布から日本の札が見えた。それでいい!」
(↑冗談じゃない、1万円札だ)


こっちも反論。

相場はわきまえてるし、乗りながら計算もしてきた、負けてたまるか
僕「何言ってるんだよ、旅行者でも相場は知ってる、今日は・・・」
ベトナム人「時間がないって言ってるだろ!!!

この遮り方はもう反則。でも、耳元でガンガン怒鳴られ、胸ぐらをつかまれそうな勢いにまでなる。もう限界。


僕「分かった。でも、これ以上は出せない」

そう言って、相場の倍近い額を出しました。そして財布をしまう


彼は僕の手からお金をひったくるようにして、バイクで走り去りました。


============

「料金はきちんと事前交渉しておくように」

東南アジアの常識です。なのに、つい乗せられてしまいました。彼の後姿が消えてから、いままでの笑顔や親切は全部お金のためだったのかと思うと、すごく空しくなりました。


そして、その後考えてみると、ぼったくられたとはいえ僕が取られたのはせいぜい数百円でした。1日食いつなぐのがやっとな金額。それだけのために人を裏切る生活なんだ。そう思うと、街を見る目が変わります。


公園に行くと、一日中歩き回って絵葉書を売っているおばさんがいます。5メートルおきに座ってミネラルウォーターを並べて売っているおばさんがいます。客引きに余念のない、おびただしい数のタクシーもそう。いつも暇そうに人を待っている。


一日でどれだけ儲かるんだろう?
まして観光客相手の商売じゃ、将来の見込みもない。

やがて年を取って、体力がなくなってくるに従って、脱落していくしかない運命。


人が多すぎるのです。
仕事がなさすぎるのです。
いいのか、これで。


この人たちはこの人たちの楽しみがあることは認めるし、こんなことを書くと資本主義、エリート主義に毒されてる感が満タンだけど、でもベトナムの首都の本当の姿を見た想いでした。


==========


翌々日、歩いていたらまた彼とすれ違いました。のどもと過ぎれば熱さを忘れるアホンダラの僕は、思わず手を振ってしまう。

そして、目が合った瞬間、すべてを思い出す。


0.3秒、お互いめっちゃ気まずくなってすれ違いました( ̄〇 ̄;)。


+++++++++++++


さーて、予定外に長居しましたが、いよいよ首都ハノイを出ます!

とあるベトナム人女性に、「ハノイは一番暗くて哀しい街よ」と言われました。


そうとくればこっちのもの。ガンガンに楽しんできます!!
【2007/06/04 19:51】 旅行記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
病のベトナミーズ・ルーレット(ベトナム旅行記3)
2日目、バイクとぶつかった日でしたが、本当の悪夢はそれからでした。

絶対いつかは来ると思っていた持病。頭痛。2日目にしてホテルでダウンしました。初めは頭痛薬飲みながら動いていたんですが、次第に吐き気もあって、夕食を食べたらベッド直行。しかし、ここは気温35度の世界。

痛みで眠れないし汗もひどい。ようやくうとうとしたかと思ったら、ふと顔が腫れぼったいのに気付く。おそるおそる触ってみると・・・。


鼻が倍くらいに腫れている!!


蚊です。思いっきり刺されました。ご存知の方も多いかもしれませんが、この地方で蚊ほど怖いものはありません。マラリアにしろデング熱にしろ、直るのに1ヶ月だの、最悪死ぬだのという伝染病。これらは蚊に刺されることで移されるんです。

厚生省のホームページを見ると。
「マラリア」より
一般に熱帯熱マラリアは、他のマラリアと異なり高熱が持続する傾向があり、平熱まで下がることはほとんどありません。また、症状も重く治療が遅れると意識障害、腎不全などを起こし、死亡することもまれではありません。


「デング熱」より
デング熱は流行する地域全体で年間約1億人の患者が発生しており、昨年は広い地域で爆発的な流行が頻発しました。マラリアと異なり、デング熱を媒介する蚊(ネッタイシマカ、ヒトスジシマカ)は空き缶などに溜まった水や竹の切り株に溜まった水でも発生するために都会で流行することも多く、ある意味ではマラリアよりも感染する危険性は高いと言えます。

有効なワクチンもなく、予防は「とにかく蚊に刺されないようにする他ない」と旅行ガイドにもバッチリ書いてあります。


しかし。


しかし。


虫避けスプレーは全身にかけてある。虫除けスタンドも置いてある。でも良く考えたら、頭痛で朦朧としてたから鼻の頭にスプレーかけてなかった気もするし、日本の「虫除けスタンド」も、枕元に置いてるのにバッチリ顔を刺されてる時点で全然アテになりません。


てか、確認してみたら刺されてるのは5箇所以上。取り越し苦労になる可能性が圧倒的に高いとはいえ、マジで死にたくはない。サギ師もボッタクリも殺しはしません。百倍かわいいです。ああああああ。



首都の底力


と、この日は正直相当慌てましたが、冷静に冷静に考えてみると、僕が今まで散々やってきたインフルエンザや喘息も「死ぬかもしれない」病気であることに変わりはありません。そもそも、感染している可能性だってそう高くないはず(みんな少なからず刺されてるでしょう)。怖いと言えば怖いですが、落ち着いて、昨日医者に行ってみました。


時間もあるし、行くに越したことはなかろう、という気持ちと。
せっかくだからベトナムの病院も観光してやろう、という気持ちと(←コラ)。


ちょっと街から外れたところにありますが、ボロボロの市内からは考えられないほどの立派な病院。応急診療ならぬ王宮診療です。しかも受付に日本人スタッフがいます。受付から保険の手続きまで全部日本語で出来、診察室に案内してもらいました。


スタッフが通訳としてついてくれましたが、看護婦がベトナム人、医者がフランス人。日本語と英語とベトナム語とフランス語が飛び交う壮絶な診察でした。


腫れてるところはアレルギーで(塗り薬をもらいました)、マラリアは予防薬もあるけど、今の流行り具合から考えると副作用の方が怖いから飲まない方がよい、とのこと。しかし、旅行の日程のことを話したら、真夏のカンボジアには充分注意してくれ、とのことでした。


こぇぇ( ̄〇 ̄;)。


しかし設備もシステムも整い、医者も親切で丁寧、首都ハノイの底力を感じさせます。そして気になる診察料は、なんと7000円!!こっちの物価からすると考えられないくらいの高額です。これも首都の底力か。


幸い保険で全額カバー。保険って大事ですね。
【2007/06/03 11:54】 旅行記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
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