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「免罪符」に見る祈り
正しくは贖宥状(しょくゆうじょう)と訳すらしいです。

カトリック教会が発行した、お金と引き換えに罪が軽減されるという証明書。宗教改革のきっかけになった、カトリックの腐敗の象徴です。世界史で習ったときには「お金払って救われようだなんて、昔の人ってアホだなぁ」と思ったもんですが、今はむしろ分かる気がします。お金を払えば救われる、という言葉そのものにはバカな匂いがぷんぷんしますが、それでも救われたい気持ちと、教会に貢献することで救われるのではないかと本気で期待してしまう気持ちは、決して理解できないものではないと思います。


そもそも、贖宥状も本来そう不純なものではないのです。イスラムから聖地を回復するための十字軍の時代に、従軍できない者が寄進を行うことでこれに代えたのがその始まり。軍に行けないから神のためにお金で貢献、「立派なこと」に思えます。そして、ある教皇が大聖堂の建築のために、贖宥状の購入者に全免償を与えることを布告したのです。そして、カトリックの教会は完成しました。それが世界遺産の、イタリアのサン・ピエトロ大聖堂。キリスト教の教会建築としては世界最大級の大きさです。(クリックすると拡大します。Wikipediaより)





そういえば、ドイツにあるケルンの大聖堂も完成まで500年以上かかっているはず。どれほど献金しても、生きている間に見ることさえ出来ない、夢の建築。天に向かって両腕を思いっきり伸ばすようなその形が、悲しいくらいきれいに思えます。(去年の写真より)





大勢の人が信じたこと。何百年も受け継がれたこと。世界史の勉強でそれを愚かだと笑うのも分かるけど、一方でこういう建築を見ると全く違う側面に気付きます。この美しさ、力強さ、そしてそれらを作った溢れんばかりの祈り。その気持ちが決して自分たちと無縁じゃないことがひしひしと伝わってきます。建築は、そういう力を示す、類まれな、そして恐らく「最強」の芸術のような気がします。



そして柏葉の話。

残り3週間


5年間続けた柏葉会の定演が近づいています。自分が今までやってきたことが、どれほどのものだったのか、そんなことを考えることが多くなりました。お金で救われようとするような安直な発想が、自分の中にいかに多かったか。建築のように後の人に希望を与えるようなものも作れず、神様のためじゃあるまいし何のために自分が動いていた(いる)のかも分かりません。泥だらけの5年目。大聖堂ほどとは言わないから、少しはキレイに終わらせたいな。


Agnus Dei,
qui tollis peccata mundi:
dona nobis pacem.

(世の罪を取り除きたもう神の子羊よ
私たちに平安を授けてください)
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【2006/12/04 00:33】 建築・美術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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