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分かるのも分からないのも分かる、だから。
映画「アパートの鍵貸します」(1960年、アメリカ)




1960年のアカデミー作品賞受賞のコメディです。主人公バクスターのアパートは、何部屋もある(日本からすれば)広い家で家賃はわずかに85ドル(1万円!?)。ただしそこには唯一の問題が

上司たちが優柔不断なバクスターに目をつけて、そしてバクスターも出世に目がくらみ、上司たちが彼のアパートの鍵を借りて部屋を予約、ラブホ代わりに使ってしまいます。おかげで彼は風邪を引こうが深夜だろうが部屋を追い出され、大家からはうるさいと苦情が来て、隣からは「毎日頑張りすぎだ」と不名誉をかぶされ、それでもペコペコと謝りながら毎日の「予約」をやりくりします。

そんな彼にも意中の人が。エレベーターガールのフランに憧れて、思い切って映画に誘う。しかし、ナントナント彼女は、自分が部屋を貸している部長の愛人だったのです!!というお話。


コメディでアカデミー賞というだけあって、メチャメチャ面白いです。お茶目な演出満載で、単純な素材と単純な結末でここまでどんでん返しできるのか、と呆れるほど。


それにしても、昔の映画っていいですよね。お約束がたくさんあるんですよ。
  • 美人は必ず性格もメチャメチャいいことになってるし、
  • おバカ女性は必ずキンキン声でベタベタしてて、
  • 「ちょっとヤなやつ」は価値観云々じゃなくて露骨に悪人で、
  • 主人公は献身的に女性に尽くしまくる超々いいヤツで、
  • なのに所詮顔に惚れてるだけで
  • そしてみんなお決まりの「悲しい過去」を持ってるけど、
  • 何だかんだでロマンチックにまとめられちゃう


「ご趣味は何ですか?」なんてどこぞのお見合いみたいな話は果てしなくどうでもいい。絶対的な幸せがあって、どこまでもいい人だったりどこまでも努力したり尽くしたりすると、いつの間にかそれが自然と手に入っている、そしてお互いに全てが分かり合えている。おとぎ話といえばおとぎ話、だけど人を幸せにする世界観がある。

この映画もその意味では典型的。でも、随所に凝らされた工夫、ウィットに富んで上品に楽しいギャグがあります。おススメの一本です。


==============

一方のこちら。

映画「ロスト・イン・トランスレーション」(2003年、アメリカ)




こちらはアカデミー脚本賞受賞作品です。

舞台は東京。アメリカ人のベテラン俳優がCMの撮影のために来日する。何もかもが違う文化。通訳を通した会話に気疲れし、演出家が何を言ってるのか分からないまま、ごまかしごまかしの仕事をする。「東京を楽しんできて」。アメリカの妻の言葉が痛々しい。

一方、とあるカメラマンの夫の仕事に同行してホテルに滞在する若い女性。観光して、僧侶のお経を聞いても何も分からず、「イケバナ」にだってなにも感じない。そんな孤独に傷つき疲れた二人が、ホテルでたまたま会う。お互いの寂寥感をそっと確認しあう、そんな映画です。

  • 新宿東口のネオンサイン。
  • 薬局。飲み屋。消費者金融の広告。
  • 渋谷ハチ公前のスクランブル交差点。
  • ゲームセンターに入れば不良が音ゲー。
  • それをコギャルのカノジョが眺めてる。
  • カタコトの英語で国際派気取りの日本人。
  • 深夜番組。お笑いタレントのバカっぷり。

マニュアル通りの受付は一生懸命日本語で話してる。アメリカ人はアメリカ人で新宿の大通りを平気で斜め横断し、病院でバカ騒ぎをし、コミュニケーションには努力出来ない。

高級しゃぶしゃぶ店に入って、モモだのヒレだのロースだの、違いも分からないまま注文する。出てくるときにはこの一言。

「自分で料理しなくちゃいけないなんて最低の店だな」

な、なるほど・・・( ̄〇 ̄;)。


この映画には、一人たりとも「悪人」が出てこない。誰もが一生懸命に話し、しかし誰もが分かり合えない。「ロスト・イン・トランスレーション」とは、直訳すれば「翻訳の中で失われたもの」。アメリカ人と日本人の間の言葉の問題を超えて、夫と妻との会話、友人同士の会話、すべてに「分かり合えない」つらさと、強烈なまでの倦怠感が漂っていました。

現代的な作品。これはこれでとても「面白い」映画でした。



両作品の差はわずかに40年


40年の差、それはわずかに1世代ちょい。1世代そこらの間に、こうまで違う世界が描かれることに、感嘆を超えてある種の恐ろしさを感じます。

一つに、世界中が夢を見ていた時代が終わった、という回顧主義も可能ですが、人間がそこまで変わったというのはやや乱暴な気がします。映画が映すのは時代である、というけれど、ここまで違う世界観が出来たのは、映画が時代の反映のみならず、それ自体が芸術史という名の生き物として歩いているからかもしれません。

1960年。人は「アパート」を夢として観ていた。時代が流れ、2003年。人は「ロスト・イン~」を現実(の中に潜む最も悲しい部分)として観ていた。

人も歩いている。でも、それ以上に速すぎる芸術の流れを、首をひねりながら目で追う人の姿を想像しました。


・・・でも、そのイメージだけでは語りきれないところもたくさんあって、これでは10年先の映画のことを考えられないし、現代だって希望的映画は沢山生まれている。ただ、何となく「アパート~」には現代に蘇らないだろう不思議な魅力を感じたし、もちろん「ロスト・イン~」は60年代に完成しえない作品だと思う。そして、それほど違う両者に、両方とも共感できる自分を見つけたとき、ニンゲンってよく出来た生き物だな、とため息をつくわけです。

時代を映した芸術、映画。
その映画が映すのは、普段見つめない自分の姿。

だから人は「映我館」に通うのか。



僕ももっと観たいです。
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【2007/04/21 15:49】 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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