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太陽の裏側(カンボジア旅行記2)
シェムリアップでは散々でしたが、カンボジア旅行の最初はびっくりするほど順調でした。

最初に入ったのはカンボジアの首都プノンペン。ベトナムに比べてさらに貧しいだろうから、相当な戦争を覚悟していたはずですが、
  • 空港でタクシーを手配してくれ(ベトナムでは運転手が押し寄せてきた)
  • きちんとホテルに送り届けてくれ(ベトナムでは別のホテルに強制連行された)
  • 信号も軒並みつき、カウントダウン表示まであり(ベトナムは無法地帯)

その他、人々はやたらと礼儀正しく(手を合わせてお辞儀する)、親日家が多いのかやたらと「オゲンキデスカー」「コンニチハー」と声をかけられる。街にはあちこちに平仮名、カタカナがある。なぜか。それは日本人観光客が少なからずいることと、もう一つは政府の援助が背景にあるようで、あらゆる小学校や土木建設に日本の資金が関与しているようです(タクシードライバーが一つ一つ教えてくれました)。シェムリアップには遺跡が大量にありますが、インド、カナダ、韓国、日本、その他あらゆる国から修復や保存の資金を受けているようです。


それから、人々の顔が全然ベトナムと違う。日本人と中国人の違いなんかとは比較にならない。インド人とアフリカ人くらい違います。そして民族衣装も違う。みなさんはベトナムの国の形ってどんなのかご存知ですか?大陸でありながら意味不明に縦長で、ラオス・カンボジアとかじっていった後のスイカの皮のような形なのですが(失礼)、これにも地理的要因とか意味があるのでしょうか。


と、そんなマジメな話はともかく。


翌日の観光にはドライバーが一日付き合ってくれたおかげで、あっちへこっちへ好きなだけ動き回って、一日で首都とその周辺郊外を見尽くしました。金ピカの王宮、カンボジアのお寺を巡り、サルを見て象を見て、ポル・ポト政権の歴史の暗い影を見て、まぁこの辺りは普通の観光ルートなので、別に面白くはないんですけど。


ドライバーの友達の兵士の家でリアル射撃をやりました。マジな銃です。ずっしりと重く、耳栓をつけ、安全装置を外して引き金を引く!

ドン!!!


すんごい反動。僕の体の方がぶっ壊れるかと思いました。さらに、連射にするとすさまじい。映画なんかで見ると何でもなさそうですが、僕は翌日体中が痛くなってました。そして狙った的には全然当たってません。のび太のすごさを思い知った日。(ちなみに使った銃はこちら


=====================


そしてもう一つ。通りがかりに、あまりにもぎょっとして、タクシードライバーにここがどこか聞いた街がありました。


日も落ちかかった夕方。ボロボロの集合住宅がありました。コンクリートのガッチリした骨組みの面影と裏腹に、誰も修理しようとせず、修復しようとしない建物。朽ち果てた灰色の巨大な箱にあるのは真っ暗な穴倉ばかりで、明かりはどこにもついていない。建築は自然の中に打ち立てられた記念碑という。でも、ここは違う。人間が建てたものが、自然の退廃の力の前にただただひれ伏した風景でした。そこにどれほどの貧しさがあるのだろう。うんと不謹慎なことを言えば、極限まできたその建物は美しくさえあったと思う。


ここがどこか。タクシードライバーの答えは、「プノンペンの売春街」でした。


砂埃が立ちこめ、その前ではボロボロの服のオジちゃんオバちゃんが屋台の椅子に座っておしゃべり。そして、その向こうにはじっと「待って」いる、死んだ目をした少女達の姿がありました。Tシャツだけが不自然なほどピカピカでした。精一杯の贅沢であり、努力なんでしょう。あまりにもぎょっとしました。


彼女らにカメラは向けられませんでした。廃墟の建物だけ撮って、僕はすぐにタクシーに乗りました。


====================


シェムリアップにて。世界遺産の遺跡に人がうじゃうじゃと集まる中、僕はとある手工芸の店に行きました。郊外にある、そのお店の工房を見学させてもらえるとのこと。ツアーだったはずなのに、参加したのは僕1人。


工房(兼・技術学校)で働いているのは18歳から25歳の少年少女(大部分は少女)。ここで物を作って、技術を覚え、売ったものが工房の資金になり、また新たな生徒を募る。卒業生はある者は実家で生産し、ある者は工房に残り、ある者は都市で働くようになる。僕は機織りを始めて見ました。


南にあるトンレサップ湖に行きました。舗装されていない道路に、吹けば飛ぶような小屋に、半裸で住んでいる人々。ボートでの水上市場の見学の案内を買ってくれたのは、15歳の男の子。英語がものすごく流暢でした。



工房の案内をしてくれた男の人に、最後に言われました。
「シェムリアップは世界的に有名な都市になって、たくさんの観光客が来るようになった。街はどんどん栄えていって、来るたくさんの観光客は、カンボジアって意外と都会だ、そう思って帰る。だけど現実は違う。観光客が来る都市から5キロも離れれば、うんと貧しい村がある。15キロ離れたここは、穴を掘っても井戸水さえ出ないんだ。」
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【2007/06/15 20:53】 建築・美術 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
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コメント
実はこういう話好きです
>親日家が多いのか~日本人観光客が少なからず~政府の援助
インドシナ周辺は日本の占領軍政が比較的うまく行っていたこと、独立への深い関与(インドネシアでは独立運動に参加していた日本人(軍人)が多数いたし、カンボジアでは確か日本軍の進駐と同時に独立宣言したはず(日本の敗戦により再びフランス統治に戻ったけど))等により親日国、親日家は多いはずです。
実は太平洋戦争関連で日本に文句言っている東アジアの国は近くのデカイ声の国とヨーロッパによる植民地運営がうまく行っていた国ぐらいで意外と少ないと思います。
まあ、経済援助やらカモ観光客やらっていうのもあるはずですが。
【2007/06/15 23:51】 URL | 低音日記の人 #Zdzt0yFo[ 編集] | page top↑
前にシェムリアップに行ったとき、ガイド氏に
「ビザ代25ドルの利権はフランスが、遺跡周辺の入場料の利権はベトナムのホテルが握ってる」と聞きました。

地理的にも強国の狭間で大変そうですよね。

道中お気をつけて。
【2007/06/16 00:23】 URL | maggy #-[ 編集] | page top↑
わぉ、ガッチリコメントありがっとうございます!

>低音日記の人
占領軍政、独立運動、なるほどです。全然知らないでこっちに来て、今日はたまたま日本人旅行者と話してる中で「あー、日本軍この辺も来てたのかなぁ」なんて初めて思いました。東アジア云々の見方もちょっと変わりそう。ありがとうございます、日本に帰ったら勉強してみたいです(←自信なし)。

>maggy
カンボジアって物価安い割りにそういうところでやたらお金がかかるなぁ、って思ってたらそんなカラクリがあるとは!!って、ベトナムのホテルって何なんでしょう・・・w

他にも一つ一つの物価の裏に国や大会社の裏があるみたいですね。ガイド付の旅だったら(てか英語ができたらw)そういうのも面白かったかも。。。

ありがとうございます。あと2週間弱、気をつけて参ります。
【2007/06/16 20:26】 URL | Toku #m3xkrDMA[ 編集] | page top↑
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