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我らが故郷、製図室
思い出しますね。去年のこのシーズン、僕は毎日毎晩のごとく製図室に閉じこもり、卒業設計に取り組んでおりました。他学科の人から「建築って大変なんだってね」と言われたら、僕はまったく謙遜しないで「ホント、大変だよ」と答えます。卒論を提出してからのこの卒業設計。今回はその素晴らしき環境を、写真解説付きでご紹介します。
(写真はすべてクリックで(若干ですが)大きくなります。なお、この写真は2005年撮影のものです。)


設計の前提


建築学科は社会基盤と一緒に工学部一号館を使っています。由緒ある古い建物ですが、その後の改築で吹き抜けの中庭が製図室になりました。その製図室が僕らの作業場です。

中庭、ということは、あらかじめ面積が決まっています。つまり「必要なスペースを作業場に設けた」のではなく「存在するスペースを作業場にした」わけです。ここからすべてはスタートします。


安心設計、我らが製図室


まずは入り口。誰もが入りたくなる幅広いエントランス、たまらない魅力です。





これなら地震や火事があっても、一斉に天国か地獄に避難できること請け合いです。何てったって、周りは燃えやすいものばかりですからね。

こちらは上の階から撮った写真。





これぞ建築。足の踏み場さえ節約する空間の有効活用にご注目ください。

見にくくて申し訳ないのですが、よく見ると写真下の方で黒い服の人が睡眠を取ってらっしゃるようです。製図室は24時間営業が当たり前なので、いつでもどこでも変わらないサービスの睡眠が取れます。日本国憲法第25条の言葉を借りれば、「不健康で非文化的な最低の生活」が保障されてるわけです。


法を遵守する、我らが製図室


ちなみに作業場の上には「キャットウォーク」と呼ばれる空中の通路があります。直訳すれば「猫が歩く」となるわけですが、なるほど納得、確かにこれは人が歩ける通路ではありません。





そして次の写真。まくら?ベッド?と驚くなかれ。こうやって布団や寝袋、簡易ベッドを持ち込むのは基本中の基本




そのすぐ脇にはこんな張り紙がしてありました。




まぁこれは納得で、紙の大きさ(B5)から分かるように、実はこの手すり、スカスカで棒と棒の間が30cm近く空いています。うっかりすれば人が簡単に転落できるという、心優しい安心設計です。ちなみに手すりの高さは1m程度。


そして、階段に至っては、手すりの高さは太ももにも満たない高さです。手すりにつかまるのでさえ、低すぎて不便。何のための手すりだと激しく問いたい。





質問していいですか?建築基準法では、バルコニーの手すりは最低110cmと決まっていたと思うんですが、気のせいですか?確かに「バルコニー」ではないですけど、そういう問題ですか?

きっとやむにやまれぬ事情があるのでしょう。潤沢な資金を抱えている東大工学部とはいえ、学生の命より大切なお金を手すりを高くするごときに使うわけにはいかないのです。お金は大事ですからね。

ちなみに前に某教官が「お役人の査察が入ると大変なんだよ」とこぼしておりました。そりゃそうだ。



環境にやさしい、我らが製図室


匠の建築は、環境面でも素敵な配慮を見せてくれます。この巨大な柱が暖房器です。




ちょっと考えれば分かりますが、このバカ高い天井で、こんな高い位置に暖房器をつけたら、間違いなく惨憺たるエネルギー効率になります。対流もなにもありません。

建築分野は国の二酸化炭素排出量の3分の1を占めている、だからエコに配慮した設計を心がけましょうね、と言ったのはどの学科のどの教官だ

国がどれだけ頑張ってチーム・マイナス6%と言おうが、我ら建築学科はやる気マイナス6%です。法人化しましたしね、もう知りませんよね。


効率が悪いといっても、別に1階の作業場が寒くなるわけではありません。ガンガンに炊けば暖房の熱は回ってきますし、暖房機の代わりに生ごみというアロマの香りが僕らを癒してくれます。誰だよ、カップラーメン食べたヤツ。



孟母散々の教え


孟子の母は孟子を育てるにあたり、まず墓地の近くに住みましたが、孟子が墓堀人夫の真似ばかりしているので、これはいけないと思い、市場の近くに引っ越しました。すると今度は商人のまねばかりするようになったので、これもいけないと思い、三度目、塾のそばに引っ越しました。すると孟子は 祭祀の道具を並べ、礼のまねごとをするようになったので、「こういうところこそ、我が子を育てるのにふさわしい」と喜んだそうです。


僕ら東大建築学科は、学科に入ったときから、自己中なデザインや資金のやり繰りがいかに人命や法律や地球環境より大事かを、こうして身を持って学んでいるのです。教育の要素に環境は欠かせません。使う人のことを全く考えないメイド・バイ・トーダイの建築の数々は、こうして刷り込まれた結果というべきでしょう。


いかがでしたでしょうか?あなたの憧れのマイホームも、この空気をいっぱいに吸った優秀な東大建築学科卒の建築家にお願いしてみませんか?

【2007/02/08 11:12】 建築・美術 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
天への祈り、天への建築
500年かけたケルン大聖堂、この建設費用は今に直せばいったいいくら位なのでしょうか。献金すれば救われるというある種の愚直さの象徴であると同時に、信じるものが「変わらない」からこそ完成した建築です。自分が生きている間に完成しないのは百も承知。でも、子のために、孫のためになる、という確信が見て取れます。






太古の「大建築」に、旧約聖書の「バベルの塔」があります。天まで届く建築を完成させたい。しかし、あくなき神への挑戦は失敗に終わります。それでも人は大建築を作ることをやめませんでした。そして時代は流れます。




(ブリューゲル「バベルの塔」(Wikipediaより))


無宗教時代の無宗教国、日本。国民年金さえも高齢化社会でちゃんと元が取れるのかどうか分からないなどと言われる始末ですが、子のため孫のためにどれほど尽くすことが出来るでしょうか。都知事や首相は神になり得ません。だから、「神が死んだ」後の近代建築はエコノミカル。大型建築は変わらず建ちますが、何百年単位のプロジェクトなどはまずありません。


バブルの塔


東京都庁の総工費用は約1600億円。さらに年間の維持管理費はなんと40億。デザインはともかくこの費用には、出来た当時から批判もすごかったとか。当然ですよね。まさにバブルの産物です。都民1000万人の割り勘という単純計算をすると、入会金1万6000円、年会費400円の強制徴収(バランスの悪さは気にしない)。都庁にちょくちょく足を運んでいる自分の目からしても、これでは「元が取れた」気分にはなりません。ゴシック教会の人件費に比べれば遥かに割安なのでしょうが、現代では考えられない高コスト建築なのです。


しかし、その額が妥当かどうかはさておいて、その意味について考えてみると、都庁のみならず教会の見方が変わってくるように思えます。教会と都庁。どちらも街の代表格たる建築であり、建物自体に機能以上に象徴的な意味も与える建築です。都庁は着工が1998年、竣工(完成)が1990年、わずか2年あまりで完成しました。これだけの建物をこの短期間で完成させる、まさに最新技術のなせる技であり、バブルのなし得た奇跡であり、1600億を惜しまぬ日本の裕福さ、それを支える人口です。そしてそれに感心する一方で、改めてゴシック教会を振り返ったとき、本当に「祈り」の秘めるすさまじいエネルギーが見て取れる気がします。「祈り」は、これだけの奇跡の連鎖と比肩しうるのです。


これが都庁。設計は言わずと知れた丹下健三です。





バブルの塔と言われた都庁、そのデザインは、どこかしら天に向かって両腕を伸ばしているかのようです。それもそのはず、都庁はゴシック教会の代表格・フランスのノートルダム寺院をデザインに取り込んでいると言われています(写真を掲載します。ね、似てるでしょ?)。





意味としても、造形としても、比較に耐えうる建築です。確かにコストは問題かもしれない。でも、都庁は一つの記念碑であり、「現代」を感じさせる偉大な作品だと思います。


表現手段は変われども


教会は、空間の聖書でもあります。だから、教会に入ると言い知れぬ神秘を感じます。ワガママかもしれないけど、無宗教の現代の建築も、何かしらそういう面があってほしい。何かを発信するモノであってほしいし、受け手としてもそういうメッセージを受信できる・読み取れる人になりたい…。もちろんコストの問題は避けて通れないけどね。


西洋と東洋。中世と現代。バベルの塔は崩れても、分かり合えるものがなくなったわけではない。芸術の力を信じたいのです。
【2006/12/08 13:17】 建築・美術 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
「免罪符」に見る祈り
正しくは贖宥状(しょくゆうじょう)と訳すらしいです。

カトリック教会が発行した、お金と引き換えに罪が軽減されるという証明書。宗教改革のきっかけになった、カトリックの腐敗の象徴です。世界史で習ったときには「お金払って救われようだなんて、昔の人ってアホだなぁ」と思ったもんですが、今はむしろ分かる気がします。お金を払えば救われる、という言葉そのものにはバカな匂いがぷんぷんしますが、それでも救われたい気持ちと、教会に貢献することで救われるのではないかと本気で期待してしまう気持ちは、決して理解できないものではないと思います。


そもそも、贖宥状も本来そう不純なものではないのです。イスラムから聖地を回復するための十字軍の時代に、従軍できない者が寄進を行うことでこれに代えたのがその始まり。軍に行けないから神のためにお金で貢献、「立派なこと」に思えます。そして、ある教皇が大聖堂の建築のために、贖宥状の購入者に全免償を与えることを布告したのです。そして、カトリックの教会は完成しました。それが世界遺産の、イタリアのサン・ピエトロ大聖堂。キリスト教の教会建築としては世界最大級の大きさです。(クリックすると拡大します。Wikipediaより)





そういえば、ドイツにあるケルンの大聖堂も完成まで500年以上かかっているはず。どれほど献金しても、生きている間に見ることさえ出来ない、夢の建築。天に向かって両腕を思いっきり伸ばすようなその形が、悲しいくらいきれいに思えます。(去年の写真より)





大勢の人が信じたこと。何百年も受け継がれたこと。世界史の勉強でそれを愚かだと笑うのも分かるけど、一方でこういう建築を見ると全く違う側面に気付きます。この美しさ、力強さ、そしてそれらを作った溢れんばかりの祈り。その気持ちが決して自分たちと無縁じゃないことがひしひしと伝わってきます。建築は、そういう力を示す、類まれな、そして恐らく「最強」の芸術のような気がします。



そして柏葉の話。
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【2006/12/04 00:33】 建築・美術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
清掃、内装、キレイそう
合唱の練習で使っている通称「コミプラ」は、今年建ったばかりの出来立てホヤホヤ建築です。でっかい建物に小部屋がいくつもあるのですが、部屋によって(サークルによって?)靴を脱ぐところ、脱がないところとあるようです。まぁそれはそれでいろいろ見て回ってたら面白そうなんですけど、うちの合唱団は土足で使ってます。

そんな部屋ですが、発声練習では腹式呼吸の練習などで床に寝ることも多々あります。初めてのときには衝撃でした。だって、頭ついちゃいますよ?

動揺しましたが、みんなそのまま寝るし、先日女声大集団も寝そべってたので、あきらめて寝ました。


しかし、ふと横を見れば、同じパートの某君の靴の裏が顔先1mにあります。あー、この靴でさっきトイレに行ったんだよなぁ、そういえば、トイレの床とここの床じゃ、どっちが丁寧に掃除されてるんだろ、などと考えてたら、練習中も眠れなくなりました


真新しいピカピカの内装、この威力を感じずにはいられません。学生会館のコンクリむき出しの上で寝る人はいないでしょう。材質上の汚れのつきやすさのみならず、何となくの不潔感。ピカピカの内装の逆の場合です。それでも、もしも床が真っ白だったら、たとえピカピカでも汚れが目立って寝転がりにくいかもしれない。床が黒でもダメかもしれない。材質も、タイル張りとか論外です。トイレ「みたい」だから。


「あ、ここなら寝転がってもいいかな」と、その場で思うかどうか、それは個人的な問題です。しかし、それを意図して設計する側になったとしたら。ものすごい数のパラメータのリサーチが出来そうです。
【2006/08/04 22:52】 建築・美術 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
スティーヴン・ホール展
ギャラリー間に行ってきました。便器でおなじみのTOTOさんが開いているギャラリー、乃木坂駅から徒歩0分です。




スティーヴン・ホールは現在売れっ子建築家の一人。1993年にヘルシンキのキアズマ現代美術館の国際コンペで最優秀賞を獲得していますが、今回の展覧会では、このキアズマ現代美術館から、最新作までの18のプロジェクトを、建築模型などなどで紹介されています。


内容は、「あ、こういうのが入場無料なのね」って感じでした。いや、悪い意味じゃないですよ、ここんとこ高めの展覧会に行くことが多かったので、ちょっとびっくりしたというか。片道1時間半電車乗り継いで「え、たった2フロア?」みたいな新鮮な驚きがあっただけです。


そして、ただひたすら、説明がない。
模型ポン、はい次、みたいな。


金属の模型、ガラスの模型、模型表現や展示の工夫は面白かったですが、ぶっちゃけ精度もいまいち。
説明ないなー、と思うと、一応ビデオが回ってます。

あ、なるほど、これを見れば分かるわけね、と思いきや。

「上演時間は1時間30分です」

んなもん、観てられないってば( ̄〇 ̄;)。


水曜の午前中に行きました。平日の午前中だし人少ないだろうな~、とは思いましたが、予想はハズレ。少ないどころか誰もいませんでした。プチ貸切状態です。観終わって出て行くとき、ようやく大学生っぽい人が一人来ました。今度は彼が貸切満喫。


帰り際に展覧会のアンケートに答えたら、それだけでスティーブン・ホールのポスターがもらえちゃいました。しかもまだまだ余ってる様子。

どれほど人が来ない展覧会なんだ。


ホールの建築


一連の作品の流れを貫くコンセプトを、ホールは「ルミノシティ:Luminosity(光)」、「ポロシティ:Porosity (孔) 」としていたようです。

「孔」が生み出す「光」と「影」の効果-空間の内側、周囲、間といった空間のシークエンスを経験することこそ建築のフォルム以上に重要である。


フォルム以上に重要というか、むしろ建築のフォルムがそのまま光と影の効果で出来ているような印象でした。壁の中に、窓がある、それは光を取り込むための、壁の「穴」でしかない。「穴」が「孔」になったとき、それは壁全体が光を取り込むものとなる。ある意味では日本の障子を思い起こさせ、その一方で障子にはない巨大なスケールと、現代ならではのランダム性が表現されているのです。


展示としては物足りない感は否めませんが、内容自体は面白かったです。ところで、もう1回行ってたらまたポスターくれたんでしょうか。
【2006/07/18 07:50】 建築・美術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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